エベレスト街道ナムチェバザールトレッキング (1991/12/24〜1992/01/04)
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カトマンズは周りをヒマラヤの山々に囲まれ、真っ青な空が広がり、汚れの全く無い済んだ空気の美しい町と思っていたが、実際に来てみると大違いだった。 |
騒音と排気ガスのカトマンズ市内 |
青空マーケット |
市内の中心部にある広場では衣類や食器など生活必需品を売る店がならび大勢の買い物客でにぎわっている。 売っているものは日本人から見るとどれも品質が悪く粗末なものばかりだ。衣類は原色が多く遠くから見ているときれいだが、品質が悪く実用性のみでファッション性は全く無い。でも女性の下着類もこんなところで売られているのがちょっと面白い。 |
市の中心から少し離れたところに行くと野菜市場がある。近くの農家が畑で採れたものを籠に詰めてカトマンズまで運びこのマーケットで売っている。でも周りにはごみの山があり食料とごみが渾然一体となっている。 |
野菜市場 |
客待ちをするリクシャ |
カトマンズの庶民の足はリクシャだ。まだこんな乗り物があったのかと驚いたが乗ってみると結構快適だ。この方が人間の活動のペースにあっているし排気ガスも騒音も無い。 |
広場ではネパール軍の軍楽隊が練習をしていた。服装も持っている楽器も立派だ。広場の外にいる人々の服装とはあまりにもギャップがある。ネパールでは彼らはエリートなのだろうか。 |
広場で練習する軍楽隊 |
ルクラへのフライトを待つ小型機 |
トレッキングを開始するルクラまでは飛行機で行く。国内線のターミナルはこれが飛行場?と思うような粗末な建物だった。 個室で厳重なボディチェックも済み搭乗を待っていると突然キャンセルになった。理由を聞くと現地のルクラは曇り空のため飛行機が飛ばないという。こんなことってあるのだろうかと意外だったが後でルクラに行ってその理由がわかった。 |
仕方なく今日は自由行動となった。仲間のツアー参加者とカトマンズ郊外のカカニの丘へ行くことにした。カカニの丘は展望がよくランタン方面の山が良く見える。 旅行代理店の手配してくれたタクシーに乗ってホテルを出発した。タクシーといっても子供の頃に見た日本の車でいまだに走っていることに驚く。 途中ガソリンスタンドで運転手がタバコを買ったがここではばら売りで必要な本数だけを買う。 カトマンズは盆地のため市内を出るとすぐ山間地になる。森はほとんど無く山頂上まで段々畑が続く。 |
カトマンズ郊外の段々畑 |
カカニの丘から見るランタン山群 |
カカニの丘に上がると8000メートル峰のシシャパンマを始めランタン山群から、遠くマナスル方面の山も望むことが出来る。初めて間近に見るヒマラヤのスケールに感激する。 |
カトマンズ市内には多くの寺院がある。 神社の周りは子供の遊び場になっており子供たちが元気に遊びまわっている。ここでは日本のように親が一緒なんて子はいない。みんな子供たちだけで遊びを見つけてくる。こんな中から人間関係や集団での行動を学んでいくのだろう。日本もかっては同じだったのだが。 |
神社の境内で遊ぶ子供たち |
みかん売り |
近郊の農家の人が自転車にみかんを積んで広場で売っている。ネパールのみかんはスンタラといい外見は日本のみかんと同じ。しかし味はとても甘味が強くオレンジに近い。しかも、皮は日本のみかんと同じように柔らかくむきやすい。ただ難点は種があること。日本で品種改良が出来たらすばらしいみかんになるのでは。 |
神社には観光客が多く来るので当然のことながら物売りも集まる。民芸品やクマリという刀、銀製品のアクセサリーと、観光客がほしがりそうなみやげ物が広場一面に並ぶ。こんな店でのんびりと冷やかしをするのも旅の楽しみだ。 |
神社の前に並ぶ土産売り |
マリーゴールドの花売り娘 |
ヒンズー教では神社でお参りするときにマリーゴールドの花飾りをする。神社の近くには赤や黄色の美しい花飾りを売る店が並ぶ。周りのくすんだ色の中でマリーゴールドの鮮やかな色はひときわ目を引く。 |
街角で男たちが麻雀卓くらいのテーブルでゲームをしている光景をよく目にする。これまでに見たことの無いゲームでルールも全くわからないが素朴なゲームだ。テレビも娯楽施設もほとんどないネパールではこれが大人たちの大衆娯楽なのだろうか。 |
街角でゲームを楽しむ人々 |
ルクラへ向かうへりへの搭乗を待つ |
毎日カトマンズの天気はいいのに2日続けてルクラへのフライトはキャンセルされ、もう日程の余裕もなくなり、旅行社の手配で
ヘリをチャータすることになった。 |
離陸し次第に高度を上げネパール盆地の山を越えると突然ヒマラヤの山々が見えてくる。雪に覆われた巨大なヒマラヤの山々に自分の山への概念が次第に塗り替えられていく。 |
ヘリコプターから見たガウリサンカール |
無事ルクラの飛行場に着陸 |
山と谷の交錯するネパールの山間地を1時間ほど飛ぶと前方にルクラの飛行場が見えてきた。飛行場といえばいくらローカル空港といっても長い滑走路があるものだが、ルクラの飛行場には滑走路らしきものが無い。前は谷、後ろは山という小さな広場があるだけだ。とてもこれが飛行場とは思えない。ヘリなので安心だが飛行機が本当に着陸できるのだろうか。 着陸してヘリを降りると滑走路は石ころだらけ。まるで放置された造成地か工事現場のようだ。 世界広しといえどもこんな飛行場はちょっとお目にかかれないのでは。広場の横には飛行機の残骸があり、帰りが不安になってくる。 |
いよいよトレッキング開始。トレッキングは初めてなのでどういうスタイルか全くわからなかった。
荷物は全てポータが運ぶ。ゾッキョという牛に似た動物が運んだり、人が竹で編んだ大きな籠に荷物を入れて運ぶ。その他にキッチンという食事担当の人たちがいて先回りして食事の準備をして我々の到着を待つ。食事が終わると急いで片付け我々を追い越して休憩地でお茶の準備をして待っていてくれる。チームのまとめ役がサーダといいこの人が全てを指示する。サーダの他にもサブのガイドがつく。今回はサーだの子供3人と親戚の若者が加わり、サポートするほうがトレッカーの2倍以上という大部隊になった。 |
あこがれのエベレスト目指してルクラを出発 |
ちびっこガイドの先導でエベレスト街道を行く |
サーダには3人の男の子がおり、上の2人はガイド見習としてトレッキングに参加するが、6歳になる最年少の子もポータとして参加するというので小さなリュックを一つ背負って一緒に行くことになった。 ちびっこガイドの先導でルクラの村を出るとのどかな農村地帯となり段々畑の続く道となる。このあたりの家では燃料は全て薪に頼っており、その薪は近くの山から切ってくる。木を切っても植林をしないので山ははげ山になる一方だ。 |
シェルパ族の住む地帯は険しい山間地のため道といっても人が歩ける程度の細い道しかない。そのため荷物はほとんど人かゾッキョという家畜が運ぶ。 ゾッキョはがっちりとした体に長い体毛があり、高地に適しているためこの地方では重要な家畜だ。しかしゾッキョは大変高価な家畜でやすやすとは手に入らない。一般の人は自分の足だけが頼りだ。 |
荷物を運ぶゾッキョ |
エベレスト街道を行くポータとトレッカー |
ルクラからしばらくは比較的平坦な道が続きのんびりと歩くことが出来る。 この頃になると参加した仲間も次第に打ち解け話も弾むようになってくる。今回のトレッキングの参加者は6人でその内5人ははじめてのトレッキングでさらに3人ははじめての海外旅行でもある。 これまで海外旅行はもちろん、外国の山へ行くなどとは思ってもいなかった。それが、突然10日間の休みが取れることになり正月の休みと続けると2週間という長期の休みになる。このさい一生の思い出に世界最高峰のエベレストを見たいと漠然と思うようになりとりあえずガイドブック購入した。ガイドブックを読んでいるうちに誰でもいけそうなことが分かり思い切って年末のトレキングに参加した。 |
ルクラを出発して最初の宿泊地モンジョに到着したのは午後の3時頃。早速暖かい紅茶で冷えた体を温めほかの人の到着を待った。ロッジからはタムセルクが間近に見える。これまで見てきた山と違い高度感がありヒマラヤの山の迫力と美しさを感じさせる山だ。 待っているうちに段々気分が悪くなり食欲が無くなってきた。まだ高山病になるような高度でもないので原因がよく分からない。 このトレキングの参加者には戦前生まれが 2名、戦後生まれが6名いたが、戦前生まれはなぜかずっと体調がよく、戦後派はみな体調を崩してしまった。戦後の豊かな環境の中で育つとこのような過酷な環境には弱いのだろうか。 |
ロッジから見たタムセルク |
深い谷にかかる恐怖のつり橋 |
ルクラを出発して2日目になり次第に道は険しくなり谷も目がくらむほどの深さになってきた。谷には立派なつり橋がかけられているがそれでも足は固まってしまう。ネパールの人たちは大きな荷物を担いで平気で渡っていくが都会暮らしにはこのゆれと谷の深さには少々緊張する。 |
ナムチェバザールも近づいてきた。急なのぼりを登りきると突然前方に山が見えてきた。ツアーリーダーの方からあれがエベレストですといわれたが一体どれがエベレストか分からない。ローツェの上に頭をちょこんと出しているのが憧れのエベレストだ。一瞬これまで抱いてきたエベレストとのイメージとのギャップに驚いたが、とにかく生きているうちにエベレストが見られ大満足。この先に行けばもっと迫力のあるエベレストの姿が見られるはずだ。 |
初めて見たエベレスト |
ナムチェバザールとクァンデ |
ナムチェバザールはネパールとチベットの交易の中継点として栄えた町。毎週土曜日にはここでバザールが開かれる。エベレスト方面のトレッカーがほとんどここで宿泊するため村にはロッジが沢山ある。ここはこれまでの村に比べかなり裕福と見え建物も立派で電気もある。 |
ナムチェバザールからドゥードゥコシ沿いの道を歩きクムジュンからエベレストホテル、シャンボチェをとおりナムチェへ戻るというワンデイハイクに出かけた。ガイドは6才になるプルパ。このあたりは標高が3,500メートル以上ありちょっとした登りでも息が切れる。しかしさすがシェルパ族は子供といえども我々とは違う。まるで平地にいるように急な坂でも平気で走っていく。 |
ちびっこガイドと一緒にワンデイハイクに出発 |
タムセルク (6623m) |
最初に見るヒマラヤらしい山と言えばこのタムセルクだろう。均整の取れた美しい形状と美しいヒマラヤヒダをもち、山全体が堂々としていて迫力がある。特に鋭く突く出た山頂部はカブトのようで前線に立つ武将を感じさせる。標高は低いが存在感のある立派な山だ。 |
ドゥードゥコシ沿いの道はエベレスト方面の展望がすばらしい。谷を隔てて6000mクラスの山がずらりと並びその奥にローツェ、エベレストなどの8000m峰が聳える。 この中にあってアマダブラムはその名前もそうだが非常に特徴的な形をした山だ。長く伸びるスロープはまるで貴婦人のような優雅さを感じる。近くのタムセルクが武将のような威厳のある姿と対照的だ。 |
アマダダブラム (6812m) |
エベレスト (8848m) とローツェ (8516m) |
谷のはるか前方には谷全体をふさぐように巨大なローツェが聳える。エバレストを楽しみに来たトレッカーにはまことに邪魔な存在だが、エベレストの頭だけ少し見せるところがちょっと心憎い。 ローツェもエベレストの近くでなければ重量感あふれる均整の取れた立派な山だ。 |
エベレスト街道を離れクムジュンへ行く途中で森の中にいたネパールの国鳥ダフェ(ダンフェ)の番を見つけた。メスは全体が濃い青色をしており、くちばしと尾ばねが黄色でキジと同じくらいの大きさだ。一方オスは体中極彩色の羽毛で覆われており大変に美しい。このあたりは特にダフェが多く生息しており目にする機会が多い。 |
ネパールの国鳥ダフェのつがい(左がメス、右がオス) |
タムセルクとガイド |
サーダーには3人の男の子がいる。一番上が高校生のソナム、2番目が中学生のハクパ、そして3番目が6才のプルパ。シェルパ族には同じような名前が多い。というのは生まれた週を名前にするからだ。もちろんこれだけではみんな7種類の名前のどれかになってしまうので前後に苗字と名前がつく。 |
参加者の一人がお茶とお茶菓子を持ってきたのでシャンボチェのロッジでにわかの茶会が始まった。ネパール人は初めて口にするお茶の味に顔をゆがめていたが、お茶菓子のヨウカンには若いガイドたちは大喜びだった。ヨウカンを見るのも口にするのも初めて。こんなにやわらかく甘い物を口にしたのはじめてのことだろう。 |
山上のお茶会 |
色男3人組? |
トレッキング参加者はなぜか女性が多く完全な女性上位。男は女性に圧倒されっぱなしだった。
普段は一人で山へ行くことが多く大勢で一緒に山歩きをするのはひさしぶりだ。 トレッキングで一緒になったというだけなのになぜか妙に気が合い、スタッフにも恵まれ最後まで楽しいたびだった。 |
トレッキングも終わりルクラに戻って最後の夜にサーダの家で参加者全員が集まってお別れのパーティーが行われた。トレッキングが終わって不要になった衣類や食料などをサーダにあげるとサーダーは全員に公平に分け与えた。みな我々からのプレゼントに大喜びだった。 |
トレッキングをした仲間とのお別れパーティー |
感動と思い出を乗せてルクラを飛び立つ飛行機 |
1週間あまり一緒に旅をし、これほどの感動と喜びをくれたシェルパ族のガイドやヒマラヤの山々ともこれでお別れだ。 これまで旅といえば観光が目的でそれなりに楽しい思い出が残るが、今回の旅はこれまでの記憶に残る思い出でとは違って、感動や思い出が体中に染み込むような強烈な印象として残った。 |
カトマンズまでは飛行機組みとヘリ組みにわかれて行くことになった。帰りは飛行機に乗り飛行場からの恐怖のダイビングを体験したかったが座席が確保できず行きと同じヘリで帰ることになった。 |
遠ざかるヒマラヤの山々 |
再び喧騒のカトマンズへ |
再び排気ガスと騒音のカトマンズに戻ってきた。当初の計画ではタンボチェまで行くことになっていたが日程を変更してナムチェまでにしたため帰国までは数日残っている。 |
山と花のアルバム
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