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カナディアンロッキー旅日記………花と写真とスケッチと
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(1997年7月3日 〜 7月13日)
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S.
IWASA
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1997年7月3日 |
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我ら山仲間7人の手作りの海外登山は14:00成田発CPエアー、待望のカナディアンロッキーへむけて出発。日付変更線を越えるため、再び同日の朝カルガリー到着。手作りとなると登山情報だけでなく、航空券、レンタカー、宿泊、食料入手など出発までには膨大な情報収集、連絡・交渉など大変な仕事がある。全ては個人的にインターネットをフルに使った自称「Yトラベルエージェンシー」の活躍がなければ実現は不可能であった。 |
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7月3日 晴れ。カルガリー到着、キャンモアへ。 |
空から見るカルガリーの街は緑のカーペットのような大草原の中に灰白色のコンクリートの四角い塊を寄せ集めたようにかたまって異様な景色に見える。
晴れ、暑い。先ず空港の両替所へ、ウエルスファーゴ銀行なんて何だか西部劇みたい(交換レートは凡そC$1.00=\87)。次はレンタカーを借りる。大型のGM製ワゴン車やたらと横幅が広いが、車内は広々として7人全員がゆったり座り、それぞれの荷物を置いても全く気にならない。ドライバーとして登録できるのは2名だけなので若手のYとAを登録。せっかっく取った国際免許は使えず残念だが、一度来たことがある経験を生かして、ナビゲーターとなる。
何をおいても登山用具のMEC(Mountain Equipment Co-op.)へ。日本より安いので装備を補充、現地の地図も購入。お次は昼食、近くのレストランで中華料理、量は多いが美味しくない。
いよいよ出発。トランスカナダハイウエイをキャンモアへ。片側3車線、1車線の幅が広いので実に広々としている。それでもドライバーのYは右側通行と車の幅の広さに慣れないせいか、ナビゲーターとして右側座席に座っている私の目の前はいつも路肩を示す白線。街外れで最初に目にするのは緩やかの丘の上に高く建てられたスキージャンプ台。こんな平らなところでノルディクは別としてスキー競技は一体何処でしたのだろう。後でわかったのだがアルペンスキー競技の会場はロッキー山脈の東端入口のカナナスキスにオリンピック会場を造成したとのことである。
街を抜けるとどこまでも広がる大草原、草原にはほとんど人工物は見えないが、時々干し草をくるんだ大きな白い包が沢山積んであるのが見え、黒い点のように見えるのは牛か馬だろう。牛はおいしいと評判のアルバータ牛、一度はおいしいステーキを食べたいものだ。
途中にある唯一のドライブインで一休み、ここまで来ると何処までも続く大草原の遥か彼方に、突然といっていいほど高く聳え立つ青黒いロッキーの山波が前方を塞ぐように連なって見える。前山といったものがなく、平原の彼方に高く屏風のように立ち並ぶ岩山の連なりという風景は、日本は勿論、ネパールでもアルプスでも見たことのない風景である。トランスカナダハイウエイはカルガリーからバンフに向けてボウ河とカナディアンパシフィック鉄道の線路の3本が並行して向かっている。ようやく山に近づき緩やかな起伏のある道になる。
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やっと到着したキャンモアは静かと言うよりは寂しい街道筋の町。今宵の宿はハイウエイ沿いにあり、その名の通り緑色の切妻屋根が奇麗なドライブインGreen
Gables Hotel。宿に荷物を置いて皆で近所を散歩しながら、明日からの食料などを仕入れにスーパーマーケットへ。道端の空き地の草原に小さな穴があり、小動物が立ちあがってこっちを見ている。近づくとヒョイともぐってしまう。マーモットかと思ったが、良く見るとスマートで小型なので地リスであろう。暫らく眺めていた。
スーパーマーケットはカナディアンパシフィック鉄道の線路を越えてずいぶん遠い。まずリカーショップでビールを調達すべく静かな流れの小川を渡って街中へ。最初の印象では随分寂しい町だと思ったが、ハイウエイは町を避けて通っており、われわれの宿は町外れで、クリークを渡った先に町の中心部がある。時間はもう夕方なのに高緯度のこの地ではまだ明るく、多くの人たちが町を散策し、ウインドウショッピングを楽しんだり、カフェテラスでお喋りをしている。
この町でカナダ独特の交通ルール「4-WAY STOP」に初めて出合う。信号の無い四辻で車は必ず止まること、最初に止まった車が発進の優先権がある。同時の場合は右側の車が優先と言うもの。馴染みの無いルールだけに、神経質になりそうだが、町中で信号の無いところは車も少なく、町を出れば広い野原で、交叉点は見通しが良いからあまり神経質になることはなかった。
次にスーパーへ寄り、今夜の食べ物、明日からの食料を仕入れ、ハイウエイ越しに見える宿に向かって近道をする。別にはっきりした道があるわけではなく、野原を目的に向かって直進すれば良い。ロッジの庭で有り合わせの物をあつめて夕食、夕方になると膚寒いほどに涼しい。庭の片隅からキャンモアのシンボルであるスリーシスターズ(2,941m)の三つ並んだ岩峰が夕日を浴びているのが見える。
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スリーシスターズの夕景
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7月4日 晴れ、アッシニボインロッジへ。 |
スリーシスターズ
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カスケード マウンテン
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早朝宿の前でスリーシスターズやバンフのカスケード マウンテン(2,998m)をスケッチ。キャンモアからマウントシャークのヘリパッドヘ、ここでアッシニボインロッジのチャーターしたヘリに乗りロッジへ入る。
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キャンモアの町を通り抜けて林道へ入る。やがて長いスプレイレイクの湖畔を走る事になる。長いと言っても半端じゃない、ヘリパッドまで約40Kmのうちの6割位だから25Kmほどが湖畔の道。針葉樹林を切り開いた林道で舗装はしてないがしっかり固められていて案外快適。途中に湖岸へ出る道が幾つかあり、眺めの良さそうな所で湖岸へ出る。川を堰きとめたスプレイレイクの対岸は点々と雪を着けた岩山が立ち並ぶ。地図を広げてみると標高2〜3,000m級の山々だが個々のピークには名前が無くGoat
Rangeとだけ記されている。山々を眺めて休憩、写真やスケッチを楽しむ。 |
スプレイ湖
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スプレイ湖
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Mt.シャークから
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Mt.シャークから
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更に走って山が近づき急な登り道になる所にエンガデインロッジがある。素朴な木の香りがする立派な造りである。こんな所にゆっくり滞在して辺りを歩き回ったら良さそうだ。パンフレットによると一泊C$100.00前後、3食アフターヌーンティー付き。名前が示す通りスイスのシェフが料理するとの事。 |
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夕食は宿泊者全員そろってダイニングで夕食。わいわい賑やか、同じテーブルの外人達と言っても我々のほうがここでは外人だが、仲良くお酒のやり取り、日本酒を望む外人、お返しにグレンフィディックのシングルモルトウイスキーどれも美味しい。こういう時にのん兵衛はチャンと銘柄を認めることでお互いに理解が深まる。日本から団体で来た連中は別のテーブルを独占しておりロッジの中は日本人の方が多い。メインロッジは勿論丸太造りの本格ログハウス。周辺に適当な距離を置いて同じように丸太造りのログキャビンが数棟建つ。キャビンの中はゆったりと広く質素だが清潔で心地よい。トイレ、シャワーはそれぞれ別のところに建てられているので、不便だが日本の山小屋のように臭くてかなわないということはない。
夕食を終えても、日はまだ高くアッシニボインは夕日で薄っすらとレモン色に染まる。日本に比べるとずっと緯度が高いせいか夕暮れは実にゆっくりとやってくる。キャビンから何度も外に出てアッシニボインの夕焼けを待つ。夕焼けらしい夕焼けは午後9時。真っ赤に染まると言うわけではなく、天を突く三角錐の雪の斜面と岩稜がオレンジ色に輝いて、やがて暗くなって行く。
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アッシニボイン夕景
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7月5日 快晴、ナブ ピークへ |
ロッジの主ゼップがガイドするとの案内もあったが、われわれは独自に一足先に歩き始める。ロッジのある平地には小さな池溏があり青空をバックにしたアッシニボインを映している。森林限界から上は所々に少し雪がある。少し急な道を登り切ったピークはナブレット。この辺りは細かな岩屑が多く、地表に張り付いたように濃いピンクの花のモスキャンピオンや名の通り鮮やかな黄色のイエロードラバが咲いている。
足元から下にはセルリアンブルーの湖が2つ3つ、それぞれに雪山を映して美しい。
ナブレットからナブピークへ続くナブリッジは痩せ尾根で、すこしガレているが距離は短くやがて頂上へ続く広い緩やかな斜面。ナブピーク頂上には雪が一面にあり、緩やかに登ってきた斜面のどん詰まりが頂上で、その先は急な崖になって落ち込んでいる。頂上から少し手前に下がったところで雪を避けて石屑の上で昼食。弁当は朝食の後ロッジで用意してくれたパンにハム、チーズ、ジャム等を自分の好みで取り合わせるて作ったサンドイッチ風のもの。このやり方もなかなか楽しい。目を上げればアッシニボインとそれに連なる山々が圧倒的な姿で目前に立ちはだかる。反対側は遠くに今回の最大の目標マウントテンプル(3,543m)であろうと思われるピークを含む山波を望む。雲はあるが遠くまで見通せて展望は良い。Oさんは足の具合が良くないようで、靴を脱いでサポーターを付けなおしたりしているのがちょっと気がかりだ。
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ナブピーク
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ナブピークからアッシニボイン
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同じ道を引き返し、ナブレットの途中からエリザベスレイクへ下る。後からきたガイドのゼップ達はナブリッジの手前からショートカット。エリザベスレイクで一緒になり、湖水で鱒のつかみ取りをしたりしながら遊ぶ。ゼップのグループのテンガロンハットのオニイサン(帽子を取るとかなり禿げ上がっているが)は一人ではしゃいでいる。ひとしきり遊んで、湖の脇の林や草原を通り、途中でキャンプグラウンドを見物、きちんと整備されたテント場は快適そう。熊除けの食料をつるす鉄製のポールとロープもチャンと設備されている。すぐ傍にはきれいな流れがあり水はおいしい。YとMさんがそれぞれテント場を仔細に眺めている様子は、ここに自宅を建てるために宅地を買う人が吟味しているように見える。
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アルパインチンクフォイル
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イエロードラバ
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アルパインフォーゲットミーノット
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モスキャンピオン
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帰り着くとラウンジでハーブティーやレモネードが出されてくつろぐ事が出来る。定員を守り十分なもてなしをして、満足してもらうと言う方法は望ましいものだ。これだと自然に溶け込み自然を大切にする気持ちも自ずと湧いてこようと言うものだ。しかし、詰め込み主義の日本の山小屋では真似しようがない。日本のように人口過密、しかもブームになったと思うとじきにブームが去り火が消えたようになる国ではとても望むことは出来ない。このロッジは大変に人気がありなかなか予約が取れないとのことである。2泊3日がパッケージになっており、ヘリのフライともそれに合わせて組まれていて、同時に州立公園管理の規制にもなっている。一休みした後、順番待ちながら今日はシャワーを浴びる事ができる。まだ夕方の太陽が暖かい。 |
夕食は昨日と同じメンバーなので打ち解け大いに盛り上がる。昨日の夕方レイクメゴックで釣りをしていたテンガロンハットのオニイサン夫婦は、初心者らしい奥さんが見事な鱒を釣って大喜びだったが、今日は旦那が手掴みで鱒を取ったので、おまえさんの手はルアーより良いと言ってやったら多いに受けた。
食後アッシニボインパスへ向かう、熊除けに笛を吹いたり歌を唄たったり。宵闇が迫るにはまだ間があるのに、突然暗くなり天気は急変しそうなので急いで引き返すが、ロッジの直前で雨に降られる。それから雷雨。夜通し雷雨。 |
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7月6日 曇り、バンフへ |
今日は下山、ヘリは昼過ぎなので、もう一度アッシニボインパスへ行くY夫妻、Mさん、Nさんと別れて、Oさん、Aと共にレイクメゴックの湖岸を行く回遊コースを歩く。黄色のオダマキがあちこちに群落を作る。アッシニボイン氷河の流れ込みまで歩く。この流れ込み上部の雪原の一角に山小屋があり、アッシニボインへ登る基地となっている。流れ込みは寒く、冷たい水、凍った湖岸のツララ、ロッジの辺りは晴れて明るいがこちらは暗い雲が切れ切れに頭上を通りすぎる。今日のアッシニボインの表情は暗く不機嫌そうで人を寄せ付けない威圧感がある。
昼食をしたり、外人達と別れを惜しんだりしながらヘリ待ち。今日は入れ替え日で人の出入りが多い。マウンテンバイクで登ってきた連中と挨拶を交わしたり、スケッチをしたりのんびりと時を過ごす。すっかりカナダ流になり、中々順番が来ないヘリ待ちも苦にならない。
小型のヘリなので中々捗らない。われわれはほとんど最後になった。ヘリのパイロットは若い美人女性だが腕は確かな様子。アッシニボインパスの上を越えて、岩壁の横を摺り抜けるように飛び、横風に冷やりとしながらスプレイレイクから登るブライアントクリークのトレイルを下に見て無事マウントシャークヘリパッドへ。
車でキャンモア経由バンフへ向かう。トランスカナダハイウエイに出て暫らく走ると国立公園の入口。ゲートがありここで滞在日数を申告して料金を支払う。間もなくバンフの街へ、予約の宿はバンフの街中だがキッチンも無く部屋も狭い。こちらの希望には全く合っていない。とてもこのような部屋であと6泊も我慢するわけには行かない。宿探しを兼ねて町へ出る。
ウインドショッピングをしながらマークのあるインフォメーションセンターへ。丁寧にこちらの要望を聞いて紹介してくれたヒドンリッジシャレーは15分程と言うので皆で歩きだしたが遠い、幾ら足の長さが違うといっても変だと思った。
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結局一時間ほど歩き、あの15分は車での時間だと納得。予約した宿の解約など、アメリカ西海岸から来たと言う宿泊者の日本人親娘とその夫に助けられる、まさに地獄で仏、感謝、感謝。この宿が見つかったことで我々のバンフの印象、そしてカナディアンロキーの旅の印象は一変したといって良いだろう。もしあの狭い不便な宿で旅の後半を過ごすことになったら、単に不満だけでは済まなくなっていたであろうと思う。 今夜はやむを得ず不満な宿で我慢する。キッチンが無いから食事の支度が出来ないので、夕食はバンフの街ヘ出て中華料理、ここは本格的中華料理で美味しかった。
の天気予報では下り坂とのこと。このの設備とシステムは実に良く出来ている。インフォメーションセンターはまたはのマークでヨーロッパアルプスにもあるが旅行者には大変ありがたい。さて、明日から何処へ行こうか。
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アッシニボインロッジ
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7月7日 曇り、フェアビュー マウンテンへ。 |
パープルオニオン
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マウントテンプルの偵察を兼ねてフェアービューマウンテン(2,744m)へ。不満の宿は朝のうちに清算を済ませ、荷物は全部車に積んで出発。
ロッキーの宝石と言われ、観光客で賑やかなレイクルイーズの駐車場に車を置き歩きだす。湖岸を少し回り込んでから登りになる。いきなりきつい登り。途中にレイクルイーズを見下ろす展望台があり、ボウリバー、トランスカナダハイウエイ、カナディアンパシフィック鉄道の線路が並行する谷間の向こうにレイクルイーズスキー場が見える。
針葉樹林の中を登り、何箇所かアバランチスロープと呼ばれる雪崩道を横切る。アバランチスロープは針葉樹がないので明るい陽射しがあり、高山植物の美しい花が多く見られる。樹林帯を抜けるとサドルバックという峠につく。
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峠の向こうにマウントテンプルの北壁がちらりと見える。ここから上は風が強く寒い。一昨日から少々不調なOさんはここで待つというので、我々はザレた踏跡の足場を拾いながら登る。最後の急斜面を一登りで頂上。細長い頂上からマウントテンプル、マウントビクトリア(3,464m)を望む。マウントテンプルは想像以上のボリュームで眼前にそびえる。こちらから見えるのは北壁で一番難しいルートに当たる。ドルフィンと呼ばれる懸垂氷河も見える。マウントビクトリアは幅広い岩壁を広げ、そのすぐ下には巨大な氷河を押出してレイクルイーズの水源となっている。我々が立っているフェアビューマウンテンから大きなギャップを挟んで、ハドーピーク(3,070m)、マウントアバデーン(3,151m)と3,000m級の山がマウントビクトリアに向かって連なる見事な眺めだ。
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先に登っていた外人の青年に教えられて登頂記念のノートに署名をしてから下る。途中でスペインの牧師さん一家と暫らく話をする。日本大好き「前田真三」の写真は素晴らしいとか、北アルプスに登ったとか、ピレネーに時々登りに行くとか。山へ入ると実に気軽に外人と話が出来る。お互いに共通の話題の基盤があるからだろうか。マラソン登山の人が登って来た。素晴らしいスピードで登って行き、我々が下におりる前に抜いていった。「あなたは素晴らしいランナーだ」と声をかけたら、にっこり笑って息も切らさず、「あなた達は良い登山家だ」と返事をしてくれた。とんでもなくタフな奴がいるものだ。
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レイクルイーズ
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MT.テンプル
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テンピークス・モレイン湖
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帰途マウントテンプルの偵察も兼ねてモレインレイクへ、ここはカナダにしては大混雑。駐車スペースを探すのに一苦労、さすがは20ドル札の裏にも描かれているだけあってテンピークスとモレインレイクは有名観光地。近くの丘に登りテンプルへの登路を探る。一般ルートになるこちら側は圧倒するような様子はないが、標高差、距離ともに相当ハードな登高になりそう。日本だったら途中でキャンプしたいところだが、こちらでは勝手にキャンプすることも禁じられている。
トランスカナダハイウエイを順調にバンフへ。行きは工事中で渋滞もあったが帰りは順調、片側1車線なのだが、所々で上り2車線下り1車線が、上り1車線下り2車線に入れ替わり、追い越しが出来るようになっている。しかし速度違反になりそうなスピ−ドを出す車はなくマナーは良い。カナディアンロッキーではやたらと多いキャンピングカーやキャンピングトレーラを引いた車は遅いが、2車線のところで容易に追い越しが出来るので、あまり焦らずに走ることが出来る。この3車線システムは中々合理的である。
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帰りに街で食料、飲み物を仕入れて帰宅。このヒドンリッジシャレーはバンフの街を囲む丘の一角にあり、広々として静かで気持ちが良い。中庭が広く、中央にはバーベキュー小屋があり、露天のジャグジーもある。家は色々なタイプが有るが、われわれが使うのは二軒の家が背中合わせに作られている、関西風の「二戸一(ニコイチ)」。設備は充実しており、キッチンは調理器具、食器すべて揃っている。二軒背中合わせで、庭で行き来が出来るが、入口は離れている。この庭に野生のエルクやコヨーテが歩き回っていたのはびっくり。
ベッドルームにはツインベッド、リビングルームにソファーベッド。リビングはダイニングキッチンも兼ねていて広くゆったりしている。男3人は順番にソファーベッドを使うことにした。ソファーベッドはあまり寝心地が良くない。バスもありシャワーもついているがシャワーはすぐに水になるのが玉に傷。夕食は女性達が用意してくれた。ワインで乾杯、広い部屋でゆったりした気持ちで楽しく過ごす。夜は10時頃まで明るいが寒い。
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7月8日 曇り、ヒーリーパスへ。 |
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天気は少し持ち直した様子で、時には太陽の位置を感じることもあるが日は射して来ない。小川をわたりザ・モナークの雪を着けた岩壁とその下に連なる長大な断層崖モナークランパートを見ながら登るが、小さな尾根をまわってもまだ続く花の群落、種を蒔たってこんなに見事に咲かせるのは大変だ。やがて峠へ。
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峠の上空は厚い雲、足元は雪、峠の向こうにはファラオピーク等が見えるはずだが雲が多くハッキリしない。寒いので早々に往路を下る。帰り道の樹林帯ではアーニカ、バンチベリー、ワイルドストロベリー等を見つけた。今日は早目に帰り着いたので、街で買物の下見。
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ザ・モナーク、ヒーリーパス
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モナークランバート
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7月9日 雨、ジャスパーへ。 |
体調少し悪く出発遅れる。カスケードアンフィシアターの予定で出発したが雨のため登山口で中止。コロンビアアイスフィールドを経由してジャスパーへのロングドライブに変更。途中のボウレイクで晴れてきた。ここで小休止、熱いコーヒーを飲んで更に走る。この辺りが分水嶺になっているようで、今まではボウ河を遡るようにして走ってきたが、この先からはコロンビア氷河から流れ下るサンワプタ河に沿ってアイスフィールドパークウエイを走り下る。コロンビアアイスフィールドは雲が立ち込め小雨がぱらつき寒い。展望は望めないので氷河へ出るのは止めにしてジャスパーへ。ところで、この広大なコロンビア氷原の水は何処へ流れて行くのだろう。後で調べると三方向に流れ出る。一つはジャスパーでアサバスカ河と合流して更にマッケンジー河になり北極海に注ぐ。もう一つはウイニペグ湖でネルソン河となりハドソン湾で大西洋に注ぐ。残りの一つはコロンビア河に入りアメリカのオレゴン州ポートランドで太平洋に注ぐと言うことである。何ともスケールの大きな話である。
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ボウ氷河とボウ湖
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ジャスパーインフォメーションセンター
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天気はずっと良くなった。街の入り口で昼食にする。カナダではいつも我々がするように河原や草地で勝手に宴会は出来ない。野外では指定された所だけでしか食事はしてはならない。車の止められるスペースがあり、それらしくベンチとテーブルがあり脇には鉄製の大きなゴミ箱がある。野生動物と共棲するためには食べ物の始末はシッカリする必要があり、人間は指定された場所以外で食事はしない。ゴミは持ち帰るか、キチンとしたゴミ箱、それは無骨で大きな鉄製で、たとえ力持ちの灰色熊でもひっくり返せないし、器用な猿でも蓋を開けられないと思われる箱にしっかりと始末することが当然とされている。野生動物は一度人間の食べ物の味を知ると、本来の食性が変わり人間の食物を求め、人間を襲うことになると言うことである。
ついでの話しだがアルコール類はライセンスのあるリカーショップでしか買えない。酒の自動販売機など勿論ないし普通の店では売っていない。街中など公衆のまえで缶ビールなどの酒を飲むのはもってのほかである。レストランでも飲み物はソフトドリンクだけの店が多いようであり、レストランでもライセンスが無いとハードリカーは提供できないとのことである。酒飲みには厳しい国である。寒く、楽しみの少ない開拓時代からアルコール中毒が非常に多かったのが原因だそうだ。
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ジャスパーは晴れ、小さな街をぶらぶら歩く、インフォメーションセンターは石積みのシッカリした洒落た建物。ここの
はいろいろ動植物や岩石の展示物も充実しており、お土産もあり一寸したミュージアムショップのようである。向かいには公衆トイレがあるがなかなか立派で入口には"Nature
Calls"と書かれていて、その下には"Friends of Jasper National Park"とあるだけ。この一角だけは老若男女が行き交い、芝生に置いてある動物の剥製に触ったりして賑わっているが、後は森閑とした人気の少ない街だった。
帰りはドライバー交代、Aの運転で一直線にバンフへ。バンフは少し曇っていたが、天気は回復してきた様子。今日は早く宿に帰り着いたのでジャグジーに入る。オランダから来た人達と一緒になりお互い拙い英語でいろいろと話す。我々とほぼ同年代なので気楽に話すが、話は半分ぐらいしか通じない。なにしろオランダ名物のチューリップが通じないのだ。こちらの発音が悪いのか彼らがチューリップという英語を知らないのか?
そんな調子だから話はチグハグだがまあイッカ! 彼らは農民で兄妹とその連れ合いの4人、全くの骨休めといったところ。こちらがストレッチをしていたら、それはヨガかと興味深そうに見ていた。
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公衆トイレ
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7月10日 曇り、エディスパスへ、バンフでショッピング。 |
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7月11日 薄曇り。カルガリーへ。 |
荷造りと部屋の片づけを済ませ、清算をして出発。マリリンモンローの「帰らざる河」のロケ地として有名なボウ滝を見物。落差は少ないが水量は圧倒されるほどの多さである。
空き瓶、空缶のリサイクルの実体験と町外れにあるというリサイクルセンターを探したが見つからず、やむを得ずカルガリーまで運ぶ羽目になった。カルガリーの町外れにリサイクルセンターがあり、窓口でトレーにキチンと分別して缶や瓶を並べ窓口に出す。窓口は昔の銀行のように鉄格子があり結構ものものしい。大した金額ではないが、どうやら此処へやって来る人はあまり豊かな人ではないらしい雰囲気であった。
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トランスカナダハイウエイを途中1回休んだだけでまっしぐらにカルガリーへ。カルガリータワーの基部の駅ビルで予約の宿へ電話をしたが、予約は入っていないとのこと。やむを得ず
で紹介を頼む。牧童たちのお祭りスタンピートが開催中なので良い部屋が無いのではと、ちょっと心配していたが、市の中心部やや西よりにキッチン付きの部屋が見つかる。行ってみると清潔で快適そう、Good!です。旅の最後の宿が快適だと印象はぐっと良くなる。「終り良ければ全て良し」と言うわけだ。
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バウンチベリー
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プリックリーロース
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市街地図で見つけたEau
Claire Marketと言う大きなショッピングモールで買物。ここはお馴染みになったボウ河がすぐ北を流れている、地図を見るとすぐ下手の支流がエルボウ(Elbow)河だなんて一寸した駄洒落みたいで面白い。マーケットは広大でいろいろな店があるが、何とI-MAX
Theaterまである。しかし、何と言っても生鮮食品の市場が一番面白い。カナダはどこも食料品が豊富で野菜、肉、魚いろいろあるし、どれも新鮮で安い。それにプリパッケージのものは少なく、ほとんどが量り売りだから必要な量を買えるので無駄が無くゴミも余り出さずに済む。こう言うのが本当に暮らしやすい国だと感じさせる。夕食は待望のアルバータ牛のステーキになったが、本場のサーモンステーキも捨てがたい魅力があり、食いしん坊としては未練たっぷりでした。 |
皆はもう一度山道具を買いに行くというので、夕食の支度を引き受け一足先に帰る。帰り道スタンピートに参加したのであろうカウボーイ、カウガールに出会う。特に女性はなかなか粋である。黒いスペイン風の鍔広帽子、白いゆったりとした袖のブラウス、黒のぴったりとしたジーンズ風のパンツに凝った飾りの付いたロングブーツ。白と黒できりっと纏めた粋なファッション、そのうえ足がすらりと長くスタイルが良いから絵になる。
部屋に帰って醤油味にニンニクを利かせたステーキの下拵えと野菜サラダを準備。皆が帰ってきてシャワーを浴びてから盛大な夕食会、ステーキは大きさを指定して切ってもらったアルバータ牛、備え付けのオーブンで美味しく焼けた。勿論ワインもたっぷり満足です。食後は楽しくおしゃべりが尽きないが、明日はもう帰国の日。
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7月12日 時々雨、バンクーバー乗換え帰国。 |
朝食後荷物を積んで出発。空港への標識が少なく分かり難い、雨の中遠くに管制塔を発見してそれを目指す。チェックインカウンターには日本人のスチュワーデスがいて、国内線だがここで一括して処理してくれることになり助かった。ロッキー山脈を越えて1時間15分のフライトでバンクーバーへ。空から見るロッキーの山波はほんの一角を歩いただけだが、懐かしさが一段とこみあげてくる。
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今度来るのはいつだろう。バンクーバーへ近づくとはるか南にドーム型の山、多分北米タコマ近郊のレーニア山(4,393m)だろう。あれも登りたい山だ。
カルガリーで手続きを済ませたおかげで、バンクバーではすんなりと成田行きのカウンターへ。
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7月13日 晴れ暑い、日本。 |
15:40成田着。荷物はピッケルが最期になるまで出てこないので、ずいぶん待たされたが、税関などはすいすい。やれやれまた暑い日本だ。最大の目標としたMt.
Templeの登頂は叶えられなかったが、カナディアン・ロッキーを気侭に歩くことができ、カナダの人達には親切にされ、旅の楽しさを満喫できた。事故も無く、全員無事に帰国出来たのだから、われら初の手作り海外山行は胸を張って成功であったと言えよう。
皆さん、お疲れさま、有り難う。
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