アンナプルナゴラパニトレッキング (1993/12/25〜1994/01/04)
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朝バンコクを離陸した飛行機は広大なタイの水田地帯を超え、ミャンマー上空を過ぎネパールに近づくと、窓の彼方に青空に白く輝くヒマラヤの姿が見えてくる。カンチェンジュンガの巨大な山塊に続きマカルー、ローツエそしてひときわ高く聳えるエベレストの黒い姿と、ヒマラヤの大パノラマの展開に大感激。 時間の経つのも忘れヒマラヤの姿に感動しているとやがて眼下の山並みも消え、田園風景に代わるとまもなくカトマンズに到着だ |
カトマンズ市内 |
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空港からホテルへ向かう前に市の外れにあるスワンヤブナートを見学することになった。スワンヤブナートは市の外れの小高い丘に建ち、仏教とヒンズー教が同居しているという奇妙な寺院である。カトマンズはその昔海の底であり、最初に地上に現れたのがこのスワンヤブナートが建つ丘だったということでここに寺院が建てられたのだそうだ。ここからはカトマンズ市内を一望することができる。 | ||||||||||||||||||||||||
カトマンズから西ヘ200キロ程離れたところにあるポカラというネパール第二の都市へ飛行機で移動する。ポカラまではおよそ30分の飛行で到着する。眼下には、まるで地図の等高線の様な段々畑の丘陵地帯が延々と続き、やがて前方に湖が見えてくるとポカラへ到着である。飛行機を降りると滑走路の先には、均整の取れた鋭い頂を持つマチャプチャレが聳えており、その美しさと迫力に感動する。高く鋭く聳えたつその姿は神々しく神がやどる山として神聖視されるのももっともだ。 |
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空港の外に出るとそこはカトマンズと違い亜熱帯の世界である。桜の花が咲き、家々の庭にはバナナやパパイヤの木がたわわに実を付け、ピンクのブーゲンビリアや真っ赤なポインセチアに彩られた明るく美しい南国の町だ。 バスを待っていると陽気な爺さんがアンモナイトの化石を売りにきた。ここから更に山奥のジョムソン辺りで多く取れるということだ。ヒマラヤはその昔は海の底で、インド大陸がアジア大陸にぶつかり海底にあったヒマラヤを今の高さまで押し上げた。 | ||||||||||||||||||||||||
夜明け前にペワ湖へ散歩に出かけた。日中は汗をかくほどの暑さだが夜は真冬のような寒さだ。 |
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バスでトレッキングを開始するノーダラまで行き、そこから現地のポータと合流しいよいよトレッキング開始だ。 |
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今日はゴレパニまでの長い上り道が続く。傾斜も昨日に比べ急で、所によってはかなりの汗をかく。日が上がるにつれ日差しは強くなり、半袖のTシャツ一枚になっても汗がふきでる程の暑さだ。トレッキングコースがこれほど暑いとは想像もしていなかった。 道は森を抜け畑を通り点在する村伝いに続き、道の両側には満開の菜の花が咲き、麦畑は鮮やかな緑に輝いている。遠い昔の日本の山村の春を思わせるようなのどかな光景が続く。 |
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これまで続いた急傾斜の道も次第に緩やかになり、段々畑ののどかな道が続くようになる。ネパールの山間部では輸送の主役は人か馬だ。トレッキング中も何度も馬の輸送隊と遭遇し、時々コースを離れた馬がぶつかりそうになりあわてることがある。またこちらの習慣で馬の頭には房飾りがつけられており、まるでお祭りの馬行列のようだ。
これまで続いた山村風景もいつしか消え、原生林の道へと変わる。木々の枝にはランらしい植物が着生しており、サルオガセもそこここの枝から垂れ下がっている。高度が上がるにつれしだいに石南花の木が多くなり、やがて全山が石南花の大木となる。3月頃には一斉に石南花の花が咲き山一面が赤い石南花の花でおおわれるという。 |
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やがて石南花の森が切れ、前方に村が見えてくるとそこが今回のトレッキングの目的地ゴレパニ村である。ゴレパニはジョムソン方面とポカラ方面を結ぶ交通の中継点であり、またアンナプルナ、マチャプチャレ、ダウラギリを始めとするヒマラヤ連山の好展望地であることから多くのロッジが建ちトレッカーで賑わっている。 |
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朝5時半に起床し、朝食前にプーンヒルという標高3,120mの展望のいい小高い丘へ上る。ここからはダウラギリ、アンナプルナ、マチャプチャレなどの山々を一望に見わたすことができ、ここからの展望は今回のトレッキングのハイライトだ。 出発して一時間ほど、石南花の林が続く急な階段を上りつめるとやがて草地の緩やかな斜面になりようやく頂上に到着する。 |
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まだ薄暗い西の空に一際大きなダウラギリの姿が見える。北には真っ正面にアンナプルナサウスが聳え、その右にはヒウンチュリがそしてマチャプチャレの端正な姿が続き、ダウラギリ・アンナプルナ連山の大パノラマが展開する。7時前にやっと東の空が白み、上空の雲が赤く染まりだしてきた。マチャプチャレ、アンナプルナサウス、ダウラギリと続くヒマラヤの連山の姿も次第にはっきりとその姿を現し、やがてその頂が朝日に輝き荘厳なヒマラヤの夜明けを迎える。 日が上るにつれ山全体が黄金色に輝き、遠くの山のシルエットも次第に黄色い光を帯びて浮き上がってくる。 |
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黄金色に輝いていた山も次第に色が消え白くなりかけると感動的な夜明けも終わり。再びロッジに戻り今日の目的地ガンドルンへ出発だ。ガンドルンまでは下り道と思っていたがとんでもない。いきなり上り道になり、その後も樹林帯の中の緩やかな上り道が続く。 ピークを過ぎると緩やかな下り道となりピッチが上がり、道は次第に石南花の樹林帯へと入る。これまでずっと見えていたダウラギリやアンナプルナの姿も次第に木々に遮られ視界から消えていく。 |
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ガンドルンまでの道は起伏が激しく道も悪く、おまけに行程が長いときている。しかし変化に富み、時々アンナプルナアやマチャプチャレを見られることが救いだ。 |
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モディーコーラの深い谷 |
ガンドルンを出発すると再び段々畑の続く急な下り道になり、やがて前方にモディーコーラの深い谷が見えてくる。一旦谷底まで降りて川を渡ったあと再び同じ高さまで登り返さなければならない。標高が低くなったせいもありのぼりは大変な汗がでる。途中で休憩しながらもやっと苦しい登りを登りきるとランドルンである。 |
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ランドルンを出発するとすぐ村の中ほどにある広場で青年がバレーボールをしていた。ネパールでバレーボールを見るのは初めてだ。昨日のテレビといい山間部の生活もかなり向上してきているようだ。一行の中にもバレー部出身という人がおり、スポーツマン・ウーマン数人が早速仲間入りし、日本・ネパール親善バレーボール大会が始まった。 |
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しばらく続いた平坦な山村ののどかな風景も終わり、次第に樹林帯が近づくと丁度昼食場所のトルカ村に到着する。この辺りにはちょうど昼食時と言うこともあってか多くのトレッカーでにぎやかだ。その多くは日本人で、中には総勢40人以上というグループもいる。ロッジの前の草地には可憐な花が咲き、牛がのんびりと草を食んでおり、農家の庭先では裸の子供たちが元気よく遊んでいる。 |
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トルカ を出発すると再び樹林帯に入り登り道が続く。木々の枝にはランがビッシリと着生している。おそらくネパールの代表的なランであるセロジネであろう。比較的低温に強く、最近は日本の園芸店でも見かけるようになってきたランだ。5月頃が開花シーズンということであり、一斉に咲き誇ったランの姿はさぞ美しいことであろう。辛い登り道を登りきるとデオラリ峠に到着する。急に前面が開け今日の目的地ダンプスが見えてくる。ここからは緩やかな下り道を歩いて一時間ほどで今日の宿泊地ダンプスに到着する。 |
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今日は元旦だ。朝、目が覚めると既に東の空は明るくなっている。急いでロッジの上の空き地に行き撮影の準備をする。やや雲が多くマチャプチャレもアンナプルナサウスも時々頂上部は雲で覆われるが、やがて東の空にかかっていた雲が次第にピンク色に染まり元旦の夜明けを迎える。 |
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トレッキングも終わり再びポカラへ戻ってきた。 翌朝まだ薄暗い時間に起き近くの湖へ散歩に出かけた。まだ薄暗い湖面には朝霧がたちこめ、霧のなかからボートの姿が静かに浮かびあがり、湖面の上を鳥の群れが飛んでいく。幻想的な光景である。 |
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マチャプチャレの方に目を移すと、先程まで黒いシルエットであったその姿が朝日で真っ赤に染まり、まるで闇の中で燃える炎のようである。ドラマチックな夜明けも一瞬にしてその幕を閉じ、赤い山肌も次第に灰色になりその頂もやがて雲の中に消え去った。 |
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ポカラから再びカトマンズに戻り帰国までは買い物や観光にと旅のもうひとつの楽しみが始まった。 |
シルクカーペット |
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帰りに我々と別行動だったご夫妻と話をしていると、今回の旅は単なる観光ではなく、ネパールの実態をレポートする事が目的であるとのことだった。というのは、ご夫妻は日本でネパールの子供達への支援をするボランティア活動をされており、今回は現地の実態を見るために夫婦でネパールを訪れたとのことだ。ネパールはアジア諸国が着実に発展を遂げているのに比べ、極端に生活レベルが低く、教育にまで手が回らないというのが実情であり、多くの子供達にとっても勉強より労働の方が重要である。ネパールは立地条件が悪く資源にも恵まれず、農業や工業化で生活レベルを向上することはなかなか困難であり、この世界最大の自然景観を活かした国作りを考えていかなければならないであろう。その為にはなによりもまず教育を充実させ、国民全体の教育レベルを向上させることが必要であろう。日本からも民間レベルでの支援が行われてはいるが、民間のささやかな援助だけでは十分な教育環境を実現することは不可能であり、政府レベルでの支援がぜひ必要である。世界最大を誇る日本のODAはいったいどこへ消えてしまうのだろうか?その国の人々の目に見えるODAをぜひしてもらいたいものだ。教育こそ平和国家を標榜する日本に取って、また人的貢献が求められているなかで最も房わしい支援ではないだろうか。 |
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