ポンチャンのブータン チョモラーリ/リンシトレッキング18日間
(2005年10月2日〜19日)
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「雷龍の国」ブータン王国の霊峰「チョモラーリ(7,314m)」を拝し、北端のゾン・「リンシ(4,040m)」を訪れようと、「ドウゲゾン(2,570m)」をスタートしてパロ峪を遡行り
「ジャンコタン(チョモラーリBC4,040m)」へ。さらに「ニエレ・ラ(4,700m)」と「ヤレ・ラ(4,800m))を越え、ティンプー峪を下って「ドウデナ(2,560m)」までを歩きました。
雨期明け遅れを理由にスタートを一日遅らせ、予定を一日短縮する8日間の強行軍となりましたので、結果残念ながら「リンシのゾン」には立ち寄ることが出来ませんでしたがニエレ・ラとヤレ・ラの峠越えは景観に恵まれブータンの素朴な自然、風土を満喫してきました。 |
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ブータントレッキンはかくして始まった ....
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2005年8月、裏銀・笠縦走を終えたある日Tさんから「ブ−タン行きの計画あり」とのMailを受けた、ブ−タンといえばチベット・ネパール・ブータン・ムスタン・シッキム・カシミールの中で行ってみたい今なお現存する王国ではないか。即参加と返事した。 |
自慢ではないが私は日本国標準語である関西弁しか使えない。Tさんも英会話はあまり得意でない。そこでTさんは旧知の日本語堪能な若いネパリ・シムカダ族のガイドarjunと計画を練り彼をツアーに連れて行くことにした。したがって今回はネパール経由でブータンに入るという計画がまとまりいざ決行となった。 |
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10月4日 パロ市内見学 |
ブータンに到着した日はまだ雨季があけきらないのか、あいにくの雨模様のなかパロの市内見学に出かけた。
ブターンは、面積が日本の九州よりチョット大きいくらい、人口72万人、NGP$2,000の世界最貧国の1つで北からは中国の圧力を受け、経済的には圧倒的にインドの勢力下にありながらも、若いハンサムな国王が必死に独立を守り、GNH
(心豊かな国造り) 世界一を目指している。 |
パロ市内風景 |
銀行 |
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街は建築ラッシュ |
パロ国際空港 |
高台に上がりパロ空港を見るとこの空港の地理条件の厳しさがわかる。着陸時は谷間を左右に反転しながら降下したが悪天候なら着陸は難しいだろう。4年前に行ったパキスタンのスカルド空港を思い出す。ここも狭い谷の間を縫って降下しインダス川の川原の滑走路に着陸した.。 |
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到着後ブータン観光の目玉タクツァン寺院の見学に行く予定だったがあいにくの雨でタクツァン寺院の観光は中止し国立博物館を見学することになった。国立博物館は古いゾン(城砦)を宝物庫として改造したもので、中にはブータンの歴史を語る農耕器具から兵器まで、またこの国の文化を支えてきた仏画、仏像など仏教関連の展示も多く、広範な展示がされている。 |
パロの中心街 |
堂々としたゾン(城砦) |
国立博物館 |
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10月5日 ティンプー市内見学 |
今日からトレッキング開始の予定だったがあいにくの天気で一日延期することにし、今日は首都ティンプーの見学に出かけた。(ブータンは総て官製の費用設定で3食・ガイド・宿付で仮に病気になってもタダだと言うが、居るだけでもus$200/日の支払いが必要で、また日程の変更は難しい。トレッキングと市内観光の入替変更は不可、5日トレッキング出発を
雨のため市内観光に切り替えたらper$109($96)取られ、為にトレッキング日程を1日短縮せざるをえなくなっってしまった。) |
ティンプー |
タシチョ・ゾン |
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ティンプー市内風景 |
首都ティンプーは人口5万人超らしいが、静かでゆったり時間が流れる素朴な街。おとなしく走る自動車は、旧型カローラ、スズキ、三菱、ベンツ等々みな比較的新しくて綺麗だ。また、ランクルの新車が多いのにはビックリ。パロとテイムプーの間の往復だけだったが輸送はトラックで(別の道を通るのかも知れぬが、)トレッキングに使用した馬は全く見なかった。トラックは圧倒的にTATA製でどれも描かれた仏の目が前を睨んでいた。 |
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男の正装は「どてら」風着物(ゴ)を左前に、裾をひざ上短く(襦袢(チュゴ)の白い大きい袖口を見せて着る。そしてストッキングに短靴である。公式な場所では一般には白い肩布(カムニ)をつける。しかし若者はスポーツウエアにスニーカーが多く携帯電話はかなりの人が持っている。
国是もだんだんと力を失って行くようだ。 |
メモリアル・チョルテン |
「どてら」ではありません |
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10月7日 樹林帯のアップダウンを繰り返しソイ・タンタンカのキャンプ地へ |
昨日までとは打って変わって今日は朝から快晴。キャンプ地からは待望のブータンの山が姿をあらわした。どうやら雨季もこれで終わりのようだ?キャンプ地ではあわただしく出発の準備が始まるなか、なかわれわれの朝食が始まった。食事のメニューはスープ、オートミール(コーンフレークのときも)、ティー、コーヒー、ミルク、トースト(バター、ジャム、蜂蜜)、赤米のご飯で味はまずますだ。 |
待望の山が |
豪華な朝食風景 |
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ぬかるみの道が続く |
樹林帯の中を行く |
ルートは雨のせいか、ずっと川沿いの為か、泥濘と岩石の多い歩きにくい道で神経を使って非常に疲れる。
夕方7時前にやっと今日のキャンプ地ソイ・タンタンカ到着。およそ10時間のハードな歩きだった。 |
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10月8日 森林限界を超えて、悪路に耐えチョモラリBCへ(4,040m) |
今日はジャンゴタンのチョモラーリBCまでおよそ7時間の行程。途中待望のチョモラーリが姿を現すはずだ。
今朝も荷物を運ぶ馬たちのえさやりから始まる。えさは朝洗面器一杯くらいのトウモロコシで一日一回。後はキャンプ地で草や木の葉を食べている。 |
馬にもえさを |
出発準備 |
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待望のチョモラーリ |
出発して一時間、前方に待望のチョモラーリが姿を現した。標高7315m、ブータン最高峰のこの山は重量感にあふれ堂々とした姿だ。
やっと森林限界を超えこれまでずっと悩まさせれてきた泥道からも開放された。
途中昼食のため農家を借りた。中は一間の質素なつくりだがこぎれいに整頓されストーブの近くには保存食とするのだろうかヤクの脂身とヤクのチーズが干してある。 |
農家の台所 |
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キャンプ地も近い |
キャンプからはチョモラーリが |
外部からの侵入を防ぐため作られたゾン(城砦)がこんな高地にもある。今は廃墟となっているがかってはチベット方面からの侵入者を防ぐため厳しい環境に耐え国を守っていたのだろう。
夕方3時に今日のキャンプ地ジャンゴタン(チョモラーリBC 4040m)に到着。テント場からは真正面にチョモラーリがそびえその右にはジョモ(6931m)の姿がある。 |
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10月9日 眼前にそびえるチョモラーリの迫力に感動の一日 |
朝方立ち込めていた霧も次第に晴れ再びチョモラーリを始めとした高峰が姿を現しこれまで雲にさえぎられ姿を見せなかったジチュ・ダケも雲の切れ間からわずかにその端正な姿あらわした。 |
チョモラーリ (7315m) |
ジョモ(6931m) |
無名峰 |
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チョブ湖(氷河湖4,350m) |
今日は停滞日のため高度順化を兼ねてチョブ湖(氷河湖4,350m)へ行くことにした。8時半にキャンプを出発し昼少し前にやっと湖に到着した。ありがたいことにこんなところまでコックが熱いお茶とクッキーを持ってきてくれた。
湖から帰るとキャンプではチョモラーリBC到着を祝って豪華な昼食が待っていた。キャンプ地でこのような豪華な食事ができるのはありがたい。味も申し分ないうまさでレストラン並みだった。 |
豪華な昼食 |
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10月10日 ニエレ・ラ(4700m)を越えリンシへ |
今日も絶好のトレッキング日和。今日からは本格的なトレッキングが始まり今日は標高4700mのニエレ・ラを超えなければならない。
朝日がチョモラーリを照らし始めると山肌は美しいサーモンピンクに染まりやがて黄金色に輝く。この光景を目にすればだれもこの山に対し深い畏敬の念を抱くことだろう。 |
チョモラーリ (7315m)
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ジョモ (6931m) |
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キャンプを出発し徐々に高度をあげるにつれ、今まで見られなかったジョチ・ダケがその鋭い穂先をあらわしやがてその全貌を現す。
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左チョモラーリ、右ジチュ・ダケ |
ニエレ・ラへの道は遠い。スケールの大きな景色の中にいると歩けど歩けどニエレ・ラは近づかない。途中斜面ではブルーシープの群れを見た。ブルーシープは羊の仲間で危険な岩場を軽々と超えていく身軽さを持ちヒマラヤの高地に棲息する。 |
ニエレ・ラへの道は遠い |
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峠が近づくに連れ展望はますますよくなり周りの山も次第に姿を現し眼前に雄大な光景が展開する。
キャンプを出発して4時間以上歩き11時20分やっとニエレ・ラ(4700m)に到着。
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次第に広がる展望 |
峠は近い |
ニエレ・ラ(4700m)到着 |
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ニエレ・ラ(4700m) |
やっと見えてきたキャンプ |
峠からはブータン西部にそびえる高峰を一望する大パノラマが展開する。峠で展望を楽しんだら今度は峠を一気に下りリンシの先にあるキャンプ地までいかなければならない。出発日を一日延期したため少しでも行程を伸ばさなければならず楽しみにしていたリンシのゾンへは残念ながら行くことができなかった。
軍のチェックポストを14時15分に通過。リンシの手前でショートカットし3時過ぎやっと前方の谷にテントが見えてきた。 |
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10月11日 ヤレ・ラ(4800m)を越えチーガへ |
昨日は9時間半という長い行程でかなり疲労したが、今日は昨日よりさらに標高の高いヤレ・ラ(4800m)を超えなければならない。
7時15分にキャンプを出発。谷あいの道をヤレ・ラ目指して進む。今日のコースは途中渡渉箇所があるが水量が多く適当な渡渉場所が見つからない。仕方なく馬を使って渡ることになった。 |
ヤレ・ラ目指して |
馬で渡渉 |
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ちょっと一休み |
標高が上がるにつれ周りは次第に雪景色に変わりいつしか一面の雪景色となる。真っ白な雪面とわずかに露出した黒い岩、真っ青な空だけの単調な景色の中に一本のトレースが峠に向かって延々と続いている。
やがて道が急斜面に変わるともう峠は近い。12時11分ヤレ・ラに到着。 |
一面の雪景色 |
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峠からはチョモラーリやジチュ・ダケの姿が昨日よりかなり遠ざかりその右手にツェリム・カンが姿を現わした。まさにブータン西部の山を一望できるこの光景はすばらしい。
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チョモラーリ、ジョモ、ジチュ・ダケ |
ジチュ・ダケとツェリム・カン(6935m) |
北側の無名峰 |
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無名峰
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峠で大展望を満喫したら今度は一気に下り、今日のキャンプ地、ショドウの先チーガ近くまでいかなければならない。キャンプ地まではまだ相当の距離だ。 |
ヤクの峠越え |
一気に峠を下る |
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標高が下がると谷沿いの道は次第にぬかるみとなり歩き難くなる。
日も落ちて暗くなったテント場に18時やっと到着。およそ10時間の過酷な行程に疲労困憊。 |
再びぬかるみの道 |
キャンプ到着 |
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10月12日 |
今日がキャンプ最終日。6時40分キャンプを出発。道は森林地帯の中を渓谷沿いにアップダウンが連続する。 |
今日も一日がんばるぞ |
樹林帯のアップダウン |
河原の岩だらけの道 |
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10時ころバルションのゾン(城砦)遺跡が見えてきた。ゾンは峠を見下ろす高台にありここから侵入者の見張りをしていたのだろう。ゾンの遺跡のすぐ近くには祠がありそこには石板に刻まれた見事な仏画がある。遺跡を見学しここで少し早めの昼食を済ませ最終キャンプ地であるドデナを目指して出発。 |
ゾン遺跡 |
石版に刻まれた仏画 |
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2時ころ最後のキャンプ地ドゥラムケンチョに到着。
われわれをサポートしてきたブータンの現地スタッフとは明日ドゥラムでお別れになるがゆっくり挨拶する時間も無いので今日全員がそろっているうちにこれまでの感謝を込めお別れの挨拶を済ませた。 |
スタッフに感謝とお別れ |
ブータンはネパールのようにまだトレッキングが盛んではなく、まだまだスタッフの教育、訓練が十分ではない。キャンプ地に着いてもテントは組んでない、茶も湯も無い、各自の荷物もどこかわからないと最初は多少不安だった。それでも雨のため出発を一日延期したため行程を一日短縮するはめになったが彼らのおかげで無事全行程を歩くことができた。素朴で人柄もよくどこか日本人と似ているせいか親しみもあり今回も彼らのおかげでまたすばらしい旅をすることができた。
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