洋上アルプス宮之浦岳(屋久島)と開聞岳

2004.04.10〜16

  初めて屋久島に宮之浦岳があることを知ったのは随分昔のことだ。併せて薩摩半島の先端にすっくと立つ薩摩富士・開聞岳のことも知った。私の脳裏にはこの二つの山はセットになってインプトされている。その後、北海道の北端に利尻山1719m(利尻島)と平坦な礼文島、九州の南端に宮之浦岳1935m(屋久島)と平坦な種子島というセットの奇妙な類似を見つけ、さらに気になる存在となった。しかし、どちらも遠方なので中々出掛ける機会がなかった。
4月10・11日 屋久島へ

  昼前に上州の山奥を出て高崎から新幹線を乗り継ぎ東京、新大阪、博多には22時過ぎに到着。夜行バス23時半発で鹿児島着は翌朝6時、このバスは途中で2時間ほど時間調整をしている。バスの終点は「いづろ」という所で鹿児島本港へは歩いて20分ほど、新幹線開通で鹿児島中央駅となった昔の西鹿児島駅は鹿児島市の中心部から離れていて、いづろとか天文館という所が繁華街である。フェリーの出発8:35までは何もすることがないが、鹿児島港から対岸の桜島を眺めているとはるばる来たものだという実感が湧く。8時にはジェットフォイルのトッピーが出るがフェリーにしたのは船賃が安いだけでなく、ゆっくりと錦江湾の入口に立つ開聞岳を眺めたかったからでもある。

  

  フェリーは予想以上に大きく長さ120m、3400トン、乗客は約500人、乗用車のほか観光バス7台も載せることが出来るという。乗員はキチンと制服を着ていて一寸した海外旅行気分、おまけに大変親切でタラップを上り下りする時は大変気を使ってくれる。足元の悪いお客の荷物はすばやく持って安全な場所まではしっかり付き添っている。乗客は少なく広々とした船内は何処でも席をとる事が出来るが、船首か船尾のデッキが良いと思う。この日は風がかなりあり、船首は寒かったが船尾は風陰で具合が良かった。ほとんど船室には入らずに過ごした。とても快適な船旅であった。

  桜島が見えなくなって暫くすると開聞岳が洋上遥かに見える。この日は視界が良くなかったが、それでも薩摩富士の名に恥じない秀麗な姿が水平線の上にぽっかりと浮かぶ、隣には山川港の岩峰も見える。やがて開聞岳が視界から消えると対岸の大隅半島の先端佐田岬が姿を現す。これで船旅の半分は過ぎ、後は右に東シナ海、左に太平洋を見ながら一路屋久島宮之浦港へ。

  海上から眺める屋久島は想像よりは緩やかだが濃い緑と柔らかな新緑が入り混じる山また山の島である。東京から飛行機を乗り継いで先着した2人に迎えられレンタカーで島内見物。名物の雨は時に激しく降りワイパーを最速にして漸く視界が得られる、と思えば止んでしまうスコールのような降りかたである。

  幸い小降りの時に到着した中間(ナカマ)のガジュマルは道路を覆い気根の間を車が通れるようになっている。

  更に南下し大川(オオゴ)の滝を見物する。落差88m、水量も十分で日本の滝百選に挙げられている。再び雨が激しくなり、他を諦めヤクスギランドへの途中にある「屋久杉自然館」でゆっくり屋久杉の勉強をする。館内は屋久杉をふんだんに使い、床は屋久杉の木煉瓦である。展示も屋久杉の実物が多くしかも手を触れて、持ち上げたりすることが出来るものがあり、最近のパネルと映像展示だけの物に比べると楽しめる。安房(アンボウ)の宿でゆっくり風呂に入り美味しい島料理と焼酎でいい気分になるが、明日の準備と宿に預ける荷物の仕分けが残っていた。

4月12日曇り時々雨 小雨のなか宮之浦岳山頂へ

  6時迎えのタクシーが30分ほど早く来てしまったが、準備が出来ていたのですぐに出発。ヤクスギランドを過ぎて暫くすると日の光が射してきて期待がふくらむ。淀川(ヨドゴウ)登山口では再び曇ってしまったが、雨が降らなければ幸いと思って身支度をして歩き始める。しかし、30分も歩かないうちにやはり雨が降りだす。雨具を身に着け覚悟を決める。雨は激しく降ることはなく、時々小雨が降ると言った状態が続き、後半は雲が切れて少しだが眺望も得られた。

  淀川の美しい流れを渡り花之江河(ハナノエゴウ)、黒味分れまでは登りがきつい。眺望が良いと言われる黒味岳はガスの中なのでパスして宮之浦岳を目指す。ヤクザサの中に風化して面白い形になった花崗岩の巨岩の間を縫うようにして稜線を巻きながらの登行が続く。翁岳、栗生岳辺りからガスが切れ始めたが、宮之浦岳では残念ながら眺望は得られなかった。

 

  先着の若い女性2名、我々の後からはガイドと共に2名静かな山頂だった。少し下って平石の岩小屋辺りでは霧が晴れ、第2の高峰永田岳は見えたが、宮之浦岳はついに姿を見せなかった。遠く太忠岳の高さ50mと言われる天柱石も望むことが出来た。ここからは谷筋に多くの残雪が見えたが、下る登山道にもご愛嬌の雪が残っていた。思いのほか長い下りでだいぶ草臥れてきた頃、今日の泊り新高塚小屋の広い木のデッキが見え、その奥にヒメシャラの木を前衛にした小屋があった。

  到着は早い方で良い場所に陣取ることができた。一休みして夕食の支度、明るいうちに夕食を済ませる。暗くなっても続々と小屋に到着する人があり、小屋は満員に近かった。小屋の近くにはヤクシカが登山者の食料のおこぼれを狙って住み着いているようである。ヤクシカは小柄で標高の比較的高い所でも良く見かけた。ヤクサルは森の中に多いようであまり数は見かけなかった。

4月13日小雨時々曇り 縄文杉始め屋久杉の巨木を堪能

  うす暗いうちに起きだし朝食をすませて出発。昨夜は星空だったが今朝は小雨が降っている。霧も濃く視界は昨日よりもズット悪い。高塚小屋を過ぎ大株歩道の終点の東屋までは所々に大きな杉があるだけで急な下り坂。東屋から少し下ると待望の縄文杉が現れる。前面半周を木製デッキで囲まれているが、小雨の中に立つ樹齢7200年といわれる巨大な老杉は妖気を辺りに放ちながら、この島の支配者という雰囲気を見せつけている。思わず魅入られたように立ちすくむ。

  やがて我にかえって記念撮影、デッキには撮影場所の指定があり、立ち止まらないようにと言う注意書きがあるが、今朝は他には小屋の同宿者だけなのでゆっくり写真を撮ってデッキを下る。間もなく大形連休になれば注意書きのように続々と人が溢れ連なり、老杉の妖気など感じられなくなるのではないだろうか。
  少し下ると夫婦杉、比翼連理という古い言葉があるが将に連理の枝が目の前に現れる。

  次は樹齢3000年といわれる大王杉、かっては屋久島最大の杉と言われていただけに風格があり、我こそは次の世代の王者であると言う雰囲気をもっている。暫くは名前をつけられていない屋久杉が次々と現れる。屋久杉と言えるのは樹齢1000年以上のもの、それ以下のものは小杉と言うそうだから恐れ入る。

  下から縄文杉を見に登ってくる人が多くなりだいぶ下ったなと感じる頃ウイルソン株が現れる。巨大な切株で中は空洞になっている。自分の部屋より広いのではないかと思うほど、片隅に祠があり上を見ると株の上に生えた木々の緑が新鮮な印象である。

  やがて、翁杉を過ぎて森林軌道へ出ると大株歩道の終点、ようやく山道が終わりになる。大株歩道へはガイドツアーの人達が目立つ、世界遺産となれば山とは関係なく登ってくる人が多いようで、登山道は整備されているが、ガイドに案内されて見物に来る方が自然保護のためにも、安全のためにも良いことだと思う。


  幸い雨はほとんど降っていないので軌道の脇で昼食を取る。ここからは安房川の上流の渓谷に沿った長い軌道歩きになるが、枕木を拾って歩くのではなくレールの間に敷かれた木の歩道を歩くので助かる。渓谷越しの針葉樹林の中に鮮やかな新緑と山桜の花が満開で見事な景色を見せてくれる。時々降って来る小雨は緑の雨とでも言うべき風情である。 軌道歩きにそろそろうんざりする頃三代杉が現れる。3代にわたる倒木更新が行われた杉で初代2000年、2代目1000年、3代目350年だそうである。


  辻峠への登り口で森林軌道とも分かれる。緩やかな良く踏まれた峠道だが結構長い。太鼓岩への登り口に水場がありゆっくり休む。峠の頂上を過ぎると下りは再び大きな杉が現れる。この辺りは苔が美しくアニメの宮崎駿監督がここでイメージを得たと言うことで最近は「もののけ姫の森」とも呼ばれているそうである。

  白谷(シラタニ)山荘を過ぎる結構急な下りをどんどん下る。三本足杉とか弥生杉等があるが、スギたるは及ばざるが如し等とおやじギャクが出そうになるのをぐっとこらえてバス停へ急ぐ。2時40分のバスを2時と勘違いした結果、バス停でゆっくりする事ができた。

  バスの運転手は植物に詳しく、バスを走らせながら色々な島の植物のガイドをしてくれた。安房へ行く我々に途中で乗り継ぎ案内もしてくれて順調に安房の宿へ帰り着くことができた。出発前から噂になっていたトッピーのストライキはまだ解決せず、明日の予定はどうなる事やら。心配は心配だが、残る手段は飛行機かフェリーしかなく、飛行機は予想通り満席。それなら一日無駄になるがフェリーで行くしかないと覚悟を決めてゆっくり風呂に入り、美味しい島料理と焼酎でくつろぐのが一番。今晩はカンパチのカマの塩焼き、トビウオのから揚げ、サバの刺身とにかく目的の宮之浦岳に登り、縄文杉始め屋久杉の巨木を堪能したのだから良い気分である。

 

4月14日曇り 屋久島を離れ韓国岳へ

  ストが気になり早めに目を覚ます。どうやらストは回避された様子、宿からすぐ近くのトッピー乗船場へ行くともう乗客が集まっている。予め朝食は断わってあったので、荷物を持って乗船場へ、まだ船は来ていないが定刻7:00に出発とのこと。続々と乗客が集まってくる。雲が切れて太忠岳の天柱石が遠く望まれる。少し波は荒いようだが順調に出航、種子島へ寄って鹿児島本港へ、2時間半の船旅は早いが狭い船室に閉じ込められあまり快適ではない。天候は良くないようで開聞岳は見えなかった。先ず腹ごしらえ船着場の食堂で鹿児島のトンコツラーメン、コクがあるがさっぱりしていて美味しかった。

  レンタカーを借り、初めてのカーナビの使い方を教わる。未知の街中を効率良く抜けるのはこの機械はスグレモノだ。脳(no)ナビで十分と威張っていたが、一寸考え直さなければならないかも知れない。街中の混雑を避けて鹿児島北ICから九州自動車道へ、桜島SAで桜島を見たかったが残念でした。代わりに櫻島のパネルの前で記念撮影。鹿児島空港ICで下りてえびの高原へ向かう。高度を上げて行くに従って霧が深くなり何も見えない中を今夜の宿であるえびの高原荘を探す。目標の近くへくるとナビの精度が追いつかず目で探すことになるが、霧で目隠しされているので少し通り過ぎてしまった。
  ロビーで身支度をして韓国岳を目指す。登山口までは如何にか視界が得られたが、山道にかかると殆ど何も見えず、雨水で崩れた登山道を登る。

  5合目で昼食、降りて来た横浜からの単独行の男性と言葉を交わし、頂上を目指す。火口壁の端にある頂上は眺望を得られない所為か何の感慨も沸かない。記念撮影だけして、何も見えないので大波池へも立寄らずもと来た道をひき返す。往復3時間弱キリシマツツジには早く、何も見えない1700mの頂上を踏んだと言うだけのことだった。深田久弥は明治の人だから高千穂の峰には拘りがあるだろうが、学童疎開世代の私には感慨は湧かないが「雲に聳ゆる高千穂の……」と歌だけは口ずさんでしまった。子供の時の教育は恐ろしいものである。

  宿は国民宿舎、風呂は広くて良かったが、食事はありきたりの定食。ここでの見つけ物は「日向夏」という夏みかん。白いふわふわの中皮ごと食べるが、苦味はなくさっぱりとして美味しかった。

4月15日快晴 好天に恵まれ開聞岳山頂へ

  早朝出発のため朝食は断わり、車でえびの高原を下りもと来た道を鹿児島空港ICへ向かう。桜島SAで朝食にありつけると思ったが、早朝で店は空いていない。ようやく探し当てた暖かい自動販売機でホットドッグとコーヒーで軽い朝食。更に南下して鹿児島ICから指宿スカイラインへ。薩摩半島の背骨になる山々を縫って更に南下する。特攻隊基地で知られる知覧の辺りで初めて開聞岳の姿を目にする。

  やがて終点の頴娃(エイ)ICを過ぎて池田湖畔に出る。開聞岳を正面に見るポピーの咲き乱れる湖畔からの眺めは奇麗だが子供の絵のようだ。道端に果物を売る店があり日向夏とビワを仕入れる。

 

  目標地点の入力を間違えたようで山でない方へナビがガイドする。目標は目の前に大きく見えているので、ナビの音声を無視して山麓へ。広い駐車場があり車を置いて昼食と果物とガスコンロを背負って登り始める。

  豊かな広葉樹の下をゆっくり登る。今日は素晴らしい晴天、陽射しが強いので丁度良い日陰である。明るい木漏れ日を楽しみ、木の間から輝く海をちらちらと見ながら登る。

  この見事な登山道は一体誰が設計したのだろうか。登山口から殆ど傾斜が変わることなく山体を一周すると頂上に到着する。子供の頃砂場で作ったビー玉転がしの山と全く同じ設計である。恐らく世界中にもこんな登山道は他に無いのではないだろうか。100名山ならぬ100名登山道なら躊躇なく第一番に挙げて良いと思う。そんなことを考えながら八合目を過ぎると少し登りが急になり、最後は梯子で岩場を乗り越え924mの頂上へ。開聞岳は周囲270度くらい海に突き出ているので眺望は素晴らしいの一言に尽きる。お湯を沸かし暖かいお茶を飲み昼食を摂る。ゆっくりと贅沢な時間を過ごしてから、一気に下る。

  この山は一周しても沢を横切ることが無い。富士山の大沢崩れのような状態は全くなく、山に降った雨は山腹を流れず山体に吸い込まれてしまうのだろうか。ヒョットしたら山体に吸いこまれた雨は池田湖に流れ出しているのかもしれない。そんなことを考えながらいつの間にか登山口に着いてしまった。とても暑く売店で買ったソフトクリームが美味しかったが、おまけに登頂証明書をくれたのはご愛嬌でした。

  これで全ての予定を済ませたが、まだ宿に入るのは早過ぎる時間なので長崎鼻へ行く事にする。長崎鼻には公園があるがこれは敬遠して灯台へ向かう。小さな灯台ではあるがここから眺める開聞岳は海の中からすっきりと立ち上がった均整の取れた山体が美しい。十分楽しんだ後、現地で時間の都合で入手できなかった屋久島焼酎を求めて指宿へ、街中の土産物屋風の店で手に入れることが出来て満足して宿へ向かう。

国民宿舎で建物は古く予約の時、宿から念のため説明があったほどであったが、温泉は自慢とのこと、海風に吹かれて露天風呂に入り疲れを癒す。夕食はここも当たり前の定食だが気分は満足でした。

4月16日快晴 旅の終わり
  今朝は初めて宿の朝食にありつけた。毎朝早朝の出発で宿の朝食には縁がなかった。ごく当たり前の朝食だが、暖かいご飯と味噌汁は日本人には嬉しいものだ。帰りは有料道路ではなく、錦江湾に沿って北上する国道226線を辿る。別府に向かう一人を鹿児島中央駅で下す。まだ時間に余裕があるので蒲生(カモウ)の八幡宮にある日本一の大楠を見に行くことにする。国道10号線にのる、少し渋滞があったが問題なく八幡宮へ着く。入口にも大きな楠があるが境内に入ると何と見事な大楠である。樹齢1500年だそうで開聞山麓辺りで見かけた楠とは桁違いである。幸いにも天気は素晴らしく楠の新緑が陽の光を跳ね返している。明るい楠は南国でなければ見られない。重苦しい縄文杉とはなんと言う対照だろうか。十分に堪能して空港に向かう。空港からは霧島連山が見事に眺められる。昼食は鹿児島の黒豚のトンカツでキメてこの旅を締めくくった。



(注)屋久島の地名は独特の読みである。何処か沖縄風の感じがする。そこで、わざわざ( )で読みカナを着けた。しかし、既に淀川(ヨドゴウ)をローマ字でYODOGAWAと記した道標が立っていた。外来者に迎合するのではなく土地固有の文化を大切にして欲しいものである。殆どの昔からの地名の漢字は当て字であり、本来の意味は「音」にある。これを外来者に迎合して変えてしまっては土地の名前の意味は失われてしまう。代表的な例は白馬である既に村名までハクバ村としてしまったが、山体に出る雪型の代掻き馬が由来であり、シロウマ(代馬)でなければならないと思うのである。

 

S. IWASA.......

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