ポンちゃんの妙なアルバム
「ジャヌーを見たい」

[カンチェンジュンガ・ジャヌー展望トレッキング21日(2003/10/20〜11/9)]

登場人物:
旅行業者ATSの企画主催旅行。参加者は東京發3、名古屋発2、大阪発4、福岡発4、とTL の計14人。珍しくATSが「健脚者に限定」と強面募集しただけあって皆さん相当にトレッキングズレ?した猛者ばかり(失言)、最高齢は76才、献身的に付き添う美人の夫人同行とうらやましい、プロ級のカメマン、物知り植物博士?など多士済々。とりわけ6名の女性の強いこと、起きている間はおしゃべりが尽きず、行動中は69、68のお二人にぐんぐん引っ張られてのトレッキング、本当に楽しい仲間でした。
現地のスタッフも献身的、サーダーは若くて元気一杯、料理方は日本の年寄り向け変化に富んだ素敵な献立でこれまた満足。これを統率するバラサーブは何時も笑顔で物静か、適格な指示と処理をする、人物的にも魅力ある*島方TLでした。
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「第三日目」10月22日(水) 快晴
カトマンドウ空港 → タプレジュン空港 (テント泊)
ホテルを9時出発。この時期の朝霧の心配もなく我々だけのチャーター機(イエティ航空、オッター双発機)は予定より早く離陸して順調に飛行、クーンブの山々、異った姿のマカルー、お目当てのジャヌー・カンチ・カブルーの山群を見てタプレジュン空港着。


機窓からはジャヌー・カンチ・カブルーの山群が


無事タプレジュン空港に着陸したが

見物人の他管制塔の周りには銃を持った兵隊が物々しい。陸路を車で先着しているはずのサーダー始めとした現地スタッフ達が居ない、道路崩壊があって到着が遅れていると。今日は予定のプルンバには行けずここ泊まりになるだろう。
16.45 やっとテントに入ることが出来た。夜のテント場はナムチェより警戒厳重で、テント場を照明で監視しているみたいだ。遠く近く犬の鳴き声や時々誰何する声がうるさい。
   
「第四目」10月23日(木) 快晴
タプレジュン (1,875m) → プルンバ (2,300m) 約4時間 テント(泊)
一日遅でトレッキング開始。今日は昨日に予定していたプルムバまでと400m ほど高度を下げる。ゆっくりと出発してのんびり半日の行程の軽い足慣らし。昨日から気になっていた遥か左方遠くに白く点のように光る頂は、マッカルーだと殿のカンチャが教えてくれた。


のんびり景色をみながら


働く子供達が昔懐かしい

途中少年が牛を操って畑を鋤いている、働く子供達が昔懐かしい。ハンデワ・コーラを隔てた対岸の巨大な崩落地帯を見る。プルムバ着。18.00 夕食の後スタッフの紹介があった。
サーダーは若いアン・サンゲは日本語堪能、。
何時もトップを歩くドルチェ・ペンムバ(このコース7 回目、以前はコック長だった。息子もクライム・ガイドという) カンチャ、アーカ・カンラ、スッパ、ラクマンタイ、アシス・ターモ(若い彼は日本語堪能)、ギャルツェン。
コック長はガル、次席ビスヌ、他にキッチンボーイと同見習たち。パーソナル・ポーターはT女がルッタ、U女がペムバ(だったがY氏脱落でその方に行き代役は他のシェルパで) ポーター(内女性が4 人)もカトマンドウからの27人連れ来て総勢48 人。ポーターの荷は35kg以下で、希望で多く持つ者は賃金も多い。ゾプキョやヤクは現地での調達が困難で使用しない。


教室の前で突然の珍客にビックリ


うれしいな、今日は学校は休みだよ

 
   
「第五日目」10月24日(金) 曇りのち雨
プルンバ(2,300m) → リンキム(1,875m) → チルワ(1,270m) 約10時間 テント(泊)
遅いペースで歩く、途中でアンバ(柿のような皮ネクタリンほどの大きさ、アケビみたいで少し酸味がある)を売りに行く親子に出会いそれを1ルーピーで6ヶ(町では1ヶ5R もすると言う)を沢山買って皆で味わう。
見事な段々畑、日本の水田と異なり背がひょろりと高く実もあまり付いていない陸稲、来年は麦との輪作という。稗、ほとんど収穫の終わっている玉蜀黍、野菜畑は種類が多く家の軒下には収穫された玉蜀黍、蜜蜂の巣箱がある。実り豊かなで美人の多い村落を通過して行く。


田園風景


原種に近い陸稲

実り豊かで美人の多い村落を行く

 

家の軒下には収穫された玉蜀黍が

 

昼食時少し離れた所で黒い服装の男2人とバラ・サーブとサーダーが話し合っているようだが、、、延々とやっている2人を残して13 時過ぎ出発。乾季だというのに雲行きが悪くなって雨もぱらぱら、本降りとなった頃6時間の予定が10時間もかかって、ようやく今日の目的地チルワに到着。
 
「第六日目」10月25日(土) 雨
チルワ (1,270m) → タメワ → セカトム(1,660m) 約7時間 テント(泊)
さて、この雨で注意されていた蛭が大発生、タメワで昼食時にと借りた家屋の2階では我々が持ち込んだので被害者続出し食事どころか皆大騒ぎ、ほとんど全員がやられていた。食事を終わって下に降りると雨の中娘が2人杵と臼で稗を搗いている、脱穀かお祭りの酒作りか。(ペンバ:濁酒チャンの一種) ヘロックを過ぎて14.10 タムール河から右へ分かれて待望のグンサ・コーラに入る、緑豊かで流れも濁ってはいない。
木立の中を下って流れに近づくと吊橋があり右岸に渡って14.35 宿泊地セカトムに着く。
遅くまでポーター達の歌声が続き、対岸の落石と鉄砲水を繰り返している急峻な沢(滝?)が一晩中音を立てていた。


チルワのキャンプ地


脱穀かお祭りの酒作りか?

   
「第七日目」10月26日(日) 晴たり曇ったり
セカトム(1,660m) → ガイヤバリ → アムジラサ(2,510m) 約8時間 テント(泊)




緑豊かなグンサ・コーラ




新雪と紅葉


下で昼食が待ってるゾ


アムジラサのテント場

沢山雨が降った為か高い所は雪化粧し、あちらこちらに水量豊かな滝が懸かり綺麗な清流が流れ込む、落葉樹の見事な紅葉、桜と見紛う「10 月の花」、草花と蝉の鳴き声、実に変化に富み美しい谷だ。なだらかな道は良く整備されて歩きやすい。
16.00 頃テント場にまた雨が来た。
   
「第八日目」10月27日(月) 快晴
アムジラサ―(2,510m) → ギャプラ(2,730m) 約7時間 テント(泊)


ギャプラのテント場に到着

高巻き道を少しずつ高度を上げてゆく、昼食時の場所で左手からの綺麗な流れに川苔が沢山ある、日本では清流の宝石と珍重するのだとコック長に食材にして出せばと言ったがこちらでは食べないとむべもない。
夜0.45 見事な天の川とオリオンに見とれる。
   
「第九日目」10月28日(火) 快晴
ギャプラ(2,730m) → ペレ → グンサ(3,595m) 約8時間 テント(泊)
11.20 ペレを過ぎて昼食後暫く行くと集落がある、中国との紛争後チベットから移住してきた人々でチベッタンオヤグソナム?の僧院を訪ねる、僧が居てかなり立派だ、中に入れてもらい山行の成功と皆の安全をお祈りしたがR10 のお賽銭で我慢してもらう。
25 戸150 人が定住しているグンサ着。WWFの事務所がありここで我々の入山手続きも済ませる(クーンブのような国立公園ではなくまだ保護区で、R1,000 の写真入許可書を提出し入山OKを得る)学校があり、数軒のロッジ、売店がある。警察もあったのだが焼き討ちされて今は不在だと言う。
夕食後「おひねり」を集めて(多分酒代になる?)お祭りの祝踊りがあった。
夜遅くまでポーター達の歌声が続く。遅く女性の声と走り回る足音などうるさく。夜はひどく冷えた。(後でサーダーから聞いた話:他のポーターとポーター同士の喧嘩があった、我々のテントを襲わないかと心配して棒を握って一番寝られなかったと疲れ顔。)


紅葉?


山行の成功と皆の安全をお祈り


チベットからの移住者の村


グンサに到着

   
「第十日目」10月29日(水)晴夕刻一時雨
グンサ停滞

今日は休養日

高度順応をかねて岩山へ出かける

グンサの村がはるか下に

ペンバはうめエ〜ウィ

今日はスタッフ、ポーターの休養をも兼ねて停滞日。仕事を終えた5人のポーターが下山していった。
9.00 男4人、女性2名の有志でタルチョが見える岩山まで高度順応と称して出かける、登り2 時間、下り1 時間とみてペムバ、ギャルツエン、ターモが同行してくれる、踏み跡程度の径で我々だけなら取り付きから迷っただろう。快調に登って1040 3,840mの岩の上に立つ11.00 に下山開始して11.50 帰着ほぼ予定通りだった。昼食後T,U両女と山門があるお寺へ、赤い毛糸帽子のキッチンボーイが同行してくれる。無住の寺には鍵がかかっていて随分と痛んでいる。痛みが酷く崩壊が近いと見た。
(チベットと交易のあった時代のグンサは豊かで賑わった集落だったらしい。交易閉鎖後も今から27年前の小西隊が来た時はまだ150-170 戸の集落でお寺を囲んで僧坊が並んでいたと言う「ジャヌー北壁P127」、この寂しさは何なのか、今では冬季は少し下の集落へ下るという。)
10/17−31は年中お祭りが在ると言われるネパールでも最大のお祭り「ティハール」の期間(途中の学校もはお休み)
スタッフ達もこの停滞日でお祭りを楽しみにしていたのだろう。サーダーが樽に入ったペンバ(稗で醸ったチャン)を抱えて何杯も飲みますと言っている。木のストローで少し飲ましてもらったが、アルコール分の低い生暖かいドブロクだ、TLから「あれは非常に不潔ですよ」と言われたので余計に胃の調子が悪くなった。21.30 頃まで歌や太鼓が聞こえる。
   
「第十一日目」10月30日(木) 快晴
グンサ(3,595m) → ラペック → カンバチェン(4,100m) 約7時間 テント(泊)
今日は1 日遅れを挽回するの為ランブク・カルカを通過してカンバチェンまでとなる。日陰の寒い行動が続く。2 時間以上歩いているのにほとんど高度を稼いでいない。
絶え間なく大小の落石がある危険な落石地帯を通過するのにモタついていて思わず余計な事を言ってしまう。私はペムバと一気に渡り切った。
13.01 遂に我ジャヌーを見たり!! なんと言う幸運なのか! 今日は六十六歳の誕生日でもある! カンバチェンに到着。夕食時にhappy birthday to you と書かれたケーキと皆んなの歌でお祝いをしてもらう。(残念ながらカメラなし)
サーダーから日程変更の話あり、「明日予定のラムタンはバッティもなくポーター達の宿舎がないので休養日とし、明後日は3 時間余分に歩いてロナークまでとしたい」と「勝手な変更だ」、「500mを超える高度差への移動の不安」など少しもめる。
結局明日は休養、希望者はジャヌー氷河へ散歩に出て明後日はロナークまでとなる。
31日はティハール最終日バイチカの日でありお祭りの最終日を祝いたいのだろうとも思った。



絶え間なく落石がある危険な落石地帯




六十六歳の誕生日にジャヌーを見たり!!




入山7回目のペムバも満足そう

   
「第十二日目」10月31日(金) 快晴
カンバチェン(停滞) ジャヌー氷河4,350m 地点まで散歩 約4時間強 テント(泊)


ジャヌー(7710m)

ジャヌー氷河散歩に出発。のんびりと4,350m地点まで行き引き返す。
サーダーに依頼してザックに「この人は2003.10.30.の誕生日にクムバ・カルナを見た」と署名入り証明を書いてもらう、達筆で画も上手。何よりの誕生祝なり。


シャルブー V、U(?)


ジャヌー  ソビトンジェ  ポレピーク
  (7710m)  (6670m)   (6645m)   


夕映えのメーラ(6344m)

   
「第十三日目」11月1日(土) 快晴
カンバチェン(4,100m) → ロナーク(4,700m) 約8時間 テント(泊)
谷を吹き降ろしてくる風が冷たくメーラ(6,344m)の日陰になった残雪の多い寒い行動が続き雪道になる。ラムタンはヤク放牧のテントがあるだけで何もない処だ。第2の落石地帯通過する、今度は30日より距離は短いが危険は変わりない。
凍った歩き難い雪道を辿る、テント場には苦労して除雪したのだろう狭い所に密集してテントが張ってある。


巨大な砦のように聳えるジャヌー


ジャヌー


テントピーク(7365m)とネパールピーク(7168m)


ロナーク氷河正面の山々


ラムタンのキャンプ予定地だった所にはヤクの放牧が


苦労して除雪したテント場

   
「第十四日目」11月2日(日) 快晴
ロナーク(4,700m) → パンペマ(5,065m) 約5時間半 テント(泊)
右にエッジピーク(6,812m)、前方にはテント・ピーク(7,365m)、ネパール・ピーク(7,168m)、振り返ればシャルプー(6,410m)が
日当たりの良いコース。相変わらず雪道に難儀しながら右に綺麗なエッジピーク(6,812m)前方にはテント・ピーク(7,365m)、ネパール・ピーク(7,168m)振り返ればシャルプー(6,410m)など白い峰々に迎えられアップ・ダウンの多い段丘状の道を進む。
ゆっくりで4時間とサーダーが言っていた最終目的地は広々とした所で氷河を隔てて仰ぐことが出来るカンチは、正面に北壁の無名峯が、左にはツインズが大きく肝心のカンチは中央峯が遥か彼方に小さく望まれる。
往路を考えれば皆疲れていてここからカンバチェンまで一日は無理だ。明日は連泊予定を止めてロナークまで降る。
月がかなり明るくなって銀河は薄くなり周囲山々の夜景は凄い。
パンペマのテント場
無名峰


ツウィンズ

   
「第十五日目」11月3日(月) 快晴
パンペマ(5,065m) → ロナーク(4,700m) 約5時間半 テント(泊)
6.30 朝日のシャルプーを採ろうと少し丘のほうへ登る、急ぎ気味でも呼吸の乱れは無い。カンチは今一だがシャルプー、ウェッジの景色は良い。
弁当持参で出発。先頭ペムバ、俊足のE女、K女と続く、途中ペムバがウエッジ・ピークの眺めの良い処で此処で以前にドイツパーテイの遭難があったという。やがてタルシンで飾られた巨石に来たので、昨年貰った白いスカーフをそこに返し山行の無事を感謝しネパール再訪を祈った。
それを見た若いシェルパがオムマニパドムヘムを口にしていた。
チョット荒れた所を通過中10米ほど後続の彼の頭を掠めて落石が飛び肝を冷やす。ロナーク着往路と同じところで幕営。


テントピーク(7365m)とネパールピーク(7168m)


シャルプー


ウェッジピーク(6,750m)


ロナークへ下山





   
「第十六日目」11月4日(火) 快晴: 06.00 -12℃
ロナーク(4,700m) → カンバチェン(4,100m) 約6時間半 テント(泊)
トレッキング歩行の最終日、今日カンバチェンに下ったら明日はチャーターのヘりでタプレジュン/小型飛行機でカトマンドウだ。
落石地帯ではルッタがモタモタ歩く某女の手引っ張って急ぎ通過する。頻発する落石にサーダー等が大声で注意を叫んでいるが、重荷を背負ったポーターの左足を直撃してしまう。
夕食後チャン、ロキシーを準備して打ち上げ会(世話になったスタッフへの慰労会)私も皆にチャンを注いで廻った。この高所で酒を飲み踊り歌う力強さに圧倒される。早めにテントに引き上げたが、古く日本にもあった歌垣の様な男女の歌の呼掛けとその美しいハーモニーにすっかり聞き惚れてしまう。
0.30 テントを出て凄い光景を目にした。舞台の右からライトを当てたように沈む月光がグンサ谷からジャヌー、ソビトンジェ、ポレ・ピークの山塊を浮かび上がらせている。ジャヌーの真上に火星が輝き、その右にはオリオンが横たわっている。
月光に輝くその光景に息を呑み寒さも忘れて立ち竦んだ。


落石地帯を通過してホット一息

 


トレッキングの成功を祝してケーキが

 


夜遅くまで続く踊りの輪

 

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