ポンちゃんのアンナプルナ山群周遊の記録 (後編)


タトパニを出発しいよいよ今回の旅の第二の目的地、アンナプルナ内院へ至るアンナプルナ山群周遊の旅後半の記録

アンナプルナ山群の北側を半周しタトパニでの休養を終えいよいよ南側から「豊穣の女神」アンナプルナの奥ふところ内院への旅が始まる。後半の旅はアンナプルナ山群を目指し、石楠花の森林地帯やのどかな農村地帯をとおり、やがて最終目的r地アンナプルナ内院へと進む。内院は周りをアンナプルナの高峰に囲まれ、迫力あふれるその景観の中に立つと自然の偉大さ、神聖さに深い感動が湧き上がってくる。

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第15日目 2004年11月07日 タトパニ[Tatopani](1,190m)からゴレパニ[Gorepani](2,750m)へ

 温泉でリフレッシュしたところで、7.00第2の目標である内院に向け出発。今日はゴレパニまで高度を1,600m上げる長丁場。
 9.35にガーラ(1,700m)到着。10.15-11.30シーカ(1,935m)で昼食休憩し、14.52ゴレパニ着。
  ここはアンナプルナ南峰が目前で、
宿泊するロッジは観光ポイントのプーンヒルに行く路の入口にある。みやげ物店も沢山あり早速をひやかしに出かける。

 兵隊の姿が多く、映画で見る機関銃、擲弾筒、まで持った7,8人〜10人の兵士が4,5mの間隔をおく臨戦隊形で常時パトロールしている。
 プーンヒル方向に上がってみるとゲートがあり、ここでマオイストたちが早朝プーンヒルからの展望を楽しんで下りてくる観光客から集金するという。
 写真撮影によさそうなところで17.30頃までねばったが生憎マチャプッチャレは雲に邪魔され、ダウラギリの方もだめ。
 夕食時、テント場に居たATSツアー一行とロッジの食堂で一緒になった。彼らは内院からの帰途で明日はガンドルクまでの由。

タトパニN0.1のロッジに宿泊

シーカからのダウラギリ

出会った3人の美女たち

ニルギル アンナプルナ南峰 ヒウウンチュリ

アンナプルナ南峰(7,219m)
       
第16日目 2004年11月08日 ゴレパニ[Gorepani](2,750m)滞在
 4.00に起床し4.20プーンヒルへ向かう。4.50にはもう大勢の人々がカメラをセットして日の出を待ち構えていた。我々の後からもランプの灯が続々上ってくる。冷たい風を避けて日の出を待つ。
 6.25頃からダウラギリに陽が当たり始め、やがてアンプルナサウス、マチャプチャレが次々に朝日に照らされその姿を現す。展望を十分に楽しんだ後8.00プーンヒルを後にする。降りの登山道にはあちこちに物々しく兵隊が立哨しているためゲートにマオイストたちの影はない。
 観光の目玉の地でマオイストたちに集金されていては国家の威信にかかわると軍、政府が警戒にあたっているのだろう。(ここの基地は数年前の戦闘で壊れたままだが現在は多数の兵が村に駐屯している様だ。)
 8.20ロッジに戻り朝食。ATS一行は下山していった。昨日呑み過の1人はロバで出発。ロッジの真上を低空でジョムソムへの飛行機が往来する。今日は洗濯したり、老婆の薪切りを手伝ったりして一日休養。
 

マナパテイ ダウラギリ ツクチェピーク

ダウラギリ(8,167m)  ツクチェピーク(6,920m)

ニルギル サウス ヒュンチュリ マチャプッチャレ

マチャプッチャレ(名前通り魚の尻尾だ)
     
第17日目 2004年11月09日  ゴレパニ[Gorepani](2,750m)からタダパニTadapani(2,590m)へ
 8.00出発。「革命なくして平和なし」と落書きのある家の壁を横目に道は学校の横を通り登りにかかる。3,100m地点に来るとプーンヒルと反対に位置し展望も良い処だが、チョット早朝往復には遠いかも。
  道は石楠花の林へと続き林の中には2,3抱えもありそうな大木もある。さぞかし春のシーズンは素晴らしいことだろう。
  狭い廊下状の道で銃口がこちらを向いていてギクリ。山賊がよく襲う処とかで兵隊が5人もいた。
 9:25デウラリで休憩。2,625m地点で桜草を2種類見た(10:47)。12.08タダパニに到着。
 右手の樹木に白いサルが数頭、沢山のみやげ物店、ここにも兵隊が15人ほど居る。午後はスッカリ曇って眺望が利かない。洗濯をする。

ゴラパニのロッジ

3,100m地点。プーンヒル、ゴラパニ、ダウラギリが一目で

サクラソウ (プリムラ・ドゥルモンディアナ?)

     
第18日目 2004年11月10日 タダパニTadapani(2,590m)からチョムロン[Chomrong](2,170m)へ
 8.00出発。朝から曇天で眺望は望み薄。今日はモディコーラで人が常住する最後の集落チョムロンまで行く。そこから先のバッテイ、ロッジはシーズン中のみ開業とか。
 チュエレ(1,815m)で川を渡る。山は動いているのか左手の崖は間断なく崩壊している。 9.48地図に無いGleurjung(1,970m)を通って11.50チョムロンに到着。
 明日から内院に入るので余計な荷物は此処に預け、洗濯物も頼むことにした。此の村には水力発電もあり電気洗濯機(sanyo)もあるのだがなぜか停電している。
 夜はローソクと石油ランプ。庭で女声合唱と踊りが始まった。次々と踊り手が代わり人気者には拍手も一段と大きく客も一緒に踊る。踊り手は手作りの花輪でトレッカーから寄付集めをする。村人達はそれで道路の整備や発電所維持費用としているとか。9時前一団は客の居る他のロッジへと移っていった。
 
チョムロンのロッジ
 
マチャプチャレ(6,993m)
 
ガンダルバ・チュリ(6,294m)
 
村の女性達が歌い踊る、つられて客も一緒に
     
第19日目 2004年11月11日 チョムロン[Chomrong](2,170m)からドバン[Dovan](2,505m)へ

 6.12に起きて朝焼けの山を狙う。日の当たるのがもう10分位遅くなった気がする。
  8.00出発、大きな水牛が路をふさいだりしてびっくり。ここからいったん標高1,800mの橋まで下るのだが、延々と石階段の路を急降下する。帰りにここを登るのかと思うとイヤになる。対岸に渡り今度は登りになる。やがて左に廻り込む様にして大崩壊を高捲きすると9.10シヌア(2,340m)に到着。村の入口のバッテイで一休みする。焼きたてのアップルパンとシナモンパンが美味しい。11.20バンブー(2,400m)で昼食。ここでも幕営を準備しているATSツアーに会う。13.15今日の宿泊地ドバンに着いた。

 
     
第20日目 2004年11月12日 ドバン[Dovan](2,505m)からマチャプチャレB.C.(3,700m)
 いよいよ核心部に入って行くので服装も防寒対策用に替え、少し早く7.00出発。 8.14ヒマラヤ・ホテル(2,900m)。10.00デウラリ(3,250m)。12.05マチャプチャレ・ベースキャンプ(3,725m)に到着。
 この数日の天気は朝は良いのだが8時を過ぎるとガスが湧き昼には曇ってしまう。洗濯は出来ぬがシラフに風を当てる。
 テント泊りのツアー客もここで小屋に泊まり内院をピストンして下山する。ABCの宿を確保の為アシスとナムゲルが予約に出かける。14.00我々も登山路の偵察に出かけると14.40 3,955m地点で彼らが帰ってくるのと会い一緒に引き返す。15.15ロッジに着、明日は宿の心配をせずに行ける。茶を愉しみながらガスの切れるのを待つ。
 マチャの夕焼けを撮る絶好の場所なのに雲の中、ダメかと思っていたら17.20頃奇跡的に姿を現し、またすぐにガスに包まれてしまった。
 

ヒマラヤホテルで休憩のポーター達

マチャが違った顔で美しい姿を見せる
 
ロッジはすぐだ

マチヤプチャレの夕映え
     
第21日目 2004年11月13日 マチャプチャレB.C.(3,700m)アンナプルナB.C.(4,130m)へ
 朝日の山をと6.00に起きる。8.22出発。昨日の引き返し地点の先でABCが見えた。平坦なよい路で9.50到着。ロッジに荷を置き早速眺望の利くあいだにと展望台に行く。

 稜線沿いにさらに先へ登ったが右手が鋭く切れ落ちていてチョット不安、左下に安全ルートが見えたのでそれで戻る。明日はこれでもっと上まで行って氷河に近づこう。
 10.30ころからガスに包まれる。11.30昼食。13.00からすこし昼寝。 17.15ガスが一瞬切れてマチャ方向の写真を撮ることができた。

 
サウスとバラシカルの朝
 
ABCのロッジとアンナプルナT峰
 
夕映えのガンダルバ.チュリ6,249m
     
第22日目 2004年11月14日 アンナプルナB.C.(4,130m)滞在
 6.00起床し日の出の山々を堪能する。8.17朝食後出来るだけサウスとヒウンチュリ間にある氷河に近い処まで行こうと昨日見た真ん中の道を行く。8.40稜線に出る(4,285m)。
 近くに落石の音も聞こえるが周囲の山々と共に静寂が支配している。 時々雪崩の雪煙と遠雷の様な響きがあり厳しく登攀を拒絶しているT峰の迫力が凄い。
  9.50さらにヒウンチュリに近い4,355mに。もう氷河が目の前だが飛んでゆく鳥を見ていると向うに着く時は点になっている。スケールにだまされているのだ。

 第3の道が見えたのでこれで戻ろう。途中に丁度T峰に向かって祭壇の様な岩に参道を付けた場所を見る。(第3の道はそうしてあるのかロッジから来ると入口が見つけ難い)
 里人達はアンナンプルナ(収穫の神)を敬い内院は女人禁制であった。今でも街から来る女性ガイド以外地元の女性は(神の怒りがあるので)入山しないと言う。

 10.20ロッジに戻る。10.30にはもうガスで視界が悪くなる。午後はロッジ裏をタルタック(祈.旗)のある4,330mまで上がった、道がなくルートを選ぶ楽しい登りだったが期待の眺望はなし。
 夕食時客室の窓毎にローソクが灯されていて美しい綺麗だ。トイレの窓にも2本。  
 今日はテイハール(男子の日)最後の日だった。(女性から贈り物を貰える日) 結果は...
 
T峰に陽が射し雪煙が上がっている
 
氷河が目前まで近づいたが
 
こちら側は登攀不可能の山だ
 
この祭壇で聖なる山に恵みを感謝したのか
 
夕刻お別れにかマチャが顔を出してくれた
 
     
第23日目 2004年11月15日 アンナプルナB.C.(4,130m)からバンブー[Bamboo](2,450m)へ
 2日間の内院に満足し8.00下山開始。何度も振り返りながらアンナプルナT峰に別れを惜しむ。あっという間にMBCを過ぎ、デオラリに10:04、ヒマラヤホテルに10:52、大勢の客で混雑しているドバンに11:50 到着。バンブーに13.40着。今日は此処まで。
 
   
第24日目 2004年11月16日 バンブー[Bamboo](2,450m)からジヌーJhinu(1,780m)
 8.00出発。9.22シヌア着。色鮮やかな小さいトルコ石があったので買い、往路に美味しかったパンを買い9.55-10.10まで休憩。
 10.35いよいよショムロンの登り口にあたる橋に着いた。途中で休むとイヤになって歩けなくなると思い気合を入れて一気にロッジまで、40分かけて11.17到着。

 昼食は往路の夕食で美味しかったチキンカレ−で満腹。洗濯物と預けた荷物を受け取って12.48出発。いきなりの急な下りを慎重に降りきって支流を渡り緩やかに下る。
 途中で野いちごを見つけた。日本でも冬イチゴが見られる頃だがセミが鳴き桜とポインセチアが咲くここでもいまどきは珍しいとか。13.22ジヌー・ダンダ着。
 早速モデイ・コーラ河原の温泉へ。アシスは湯は嫌いと来ないが、ナムゲル、ダワは一緒になって愉しんでいた。下り17分、登り20分なので足ごしらえは必要。戻ってビールで乾杯。
 
チョムロンの階段道は     ↑ここから
 
ジヌーの宿
 
上湯でのダワ
     
第25日目 2004年11月17日 ジヌーJhinu(1,780m)からトルカ[Tolkha](1,700m)
 早く起きて山を眺めているとアシスがシェルパ・ティーだと言ってミルク茶を持ってきてくれた。シナモンの香と程よい甘さの優れもの。ロッジに着くと彼らにはロキシーの振る舞いがあり、肉食も結構していて案外客よりも好処遇かも知れぬ。)
 8.00出発。左岸の中腹を行く。ガスがかかってもう雪の山は見えない。対岸の高い所にガンドルクが見える。8.55ニューブリッジ。10.25ランドルクで10.45まで休憩。


 11.25トルカ着。もっと先まで行けるだろうが急ぐ旅でない。学校があり、子供達が球遊びしている。証明印のある奉加帳を持った男が寄付を言ってきたが酒臭いので止めた。
 (これで家を建てた強者がいるそうだ。)  ナムゲルが買い求めた鶏を持って帰ってきた。夕食はこのチキン付ダルバート、もう高度は低いしトレッキングも終盤だ、ビールを取る。

 
ガンドルクが高い所に
 
トルカの宿にて手前はキャンプ場
 
     
第26日目 2004年11月18日 トルカ[Tolkha](1,700m)からポカラ[Pokhara](820m)

 朝、庭の水場に行くと鶏の足があった。ご馳走さん。(ナムゲルは元コック、ダワも元キッチン方で彼は昼食時バッテイの台所が忙しいと美味しいチャーハンなどを作ってくれた。)
 8.00出発、9.28デウラリ(2,225m)。10.20ポサナ(2,095m)ここは当初予定のダンプスとカーレの分岐点で道を右にとり10.40広々とした草原状のオーストリアンキャンプ(2,150m)に到着。立派なロッジがあり静かな良いところでマチャがぼんやりと頭だけ見せた。

 昼食後12.13出発、すぐ下に見えていたポカラへの幹線道路沿いの街シーカ(1,850m)に12.57着きここでトレッキングを終了。全員と感謝の握手。
なかなかTaxiが捉まらぬ。やっと13.50小さな車に押し込まれて14.50ポカラの宿に着く。
 夜、打ち上げはステーキハウスに皆を招待。アシスにはエルゾークのアンナプルナ初登頂記をプレゼントする、(1952年初版の古い本だがポカラでは沢山売っている)。

 
オーストリアンキャンプのロッジ
 
トレッキング終了地点シーカ
 
     
第27日目 2004年11月19日 ポカラ[Pokhara](820m)滞在
 5.30私だけアシスをガイドに昨日のtaxiでサランコットへ朝日の山を見に行く。展望台は駐車場に近い処に新設されて圧倒的観光客で占められている。日の出を見る。今まで多くのすごい風景を見てきたので遠くガスの懸かった山々で感動も薄く「観光地に来た」という感じ。

 午後ダワを案内に国際登山博物館に行く。(バカデカイ無駄な空間だらけのドーム状の展示館。笑ってしまうのは園内にある模型のマナスル、これを見学の生徒が登ったりしていた。建物に剣道と登山が好きとかの元首相の得意げな写真があった。
 昨秋カトマンズで見た博物館(弟宮様が来訪したとある)と同じく典型的な日本の土建屋の為の箱物援助であろう。)夜は日本食にした。(ますの塩焼き、野菜炒め、味噌汁)

 
アンナプルナサウス
 
サウスとマチャプチャレ
 
マチャプチャレ
     
第28日目 2004年11月20日 ポカラ[Pokhara](820m)からカトマンズ[Kathmandu]
 7.00ホテルをチェックアウトしてツーリストバスターミナルへ。沢山の会社のバスが並び朝食の物売りや何やらで大混雑。7.30定時に満席で出発。町を出てしばらくで最初のチェックポイント。ネパール人の客は全員降ろされ身元確認される。持ち物を持っていると検査に余計時間がかかる。この間徒歩で移動するから車が渋滞する。 9.38ナラヤンコットでトイレ休憩。カトマンズまで54kmとあるDhadingで12.30-13.00昼食休憩。(バス会社で場所は決まっているみたいだ。)13.52Muglingでまた検問また渋滞。
 15.09カトマンズに近いと思ったら厳重な検問。武装した兵隊が観光客に愛想を振りまきながら車中の荷物をチェックをする。
 今度はイヤになる大渋滞、やっとバスターミナル。Taxiに乗り継ぎ16.35 InternationalGuestHouseに帰ってきた。
 街に出て一人で夕食したが方向が判らなくなり疲れと面倒なので輪タクに乗ったら車夫も新米で道を知らぬ。道案内に同乗した親方が言うには明日から2日バンダだと言う。

ツーリスト・バス乗り場の混雑
     
第29日目 2004年11月21日 カトマンズ[Kathmandu]滞在
 食堂でウエイトレスに聞くとバンダはないと。
 9.00アシスと上田さん来る、アシスは風邪を引いているみたいだ、疲れが出たのだろう。明日のナガルコット観光を決め、代金とトレッキングガイド料残金を支払う。
 その後上田さんにタメルを中心に食事の旨い物店など市内観光案内をしてもらう。本格的なそばを食べさせる「ヒマラヤそば処」へ。テンプラそばは本格的で美味しかった。
  ツアーのスケジュールに入っているのだろう日本人団体観光客が続々到着する。
 行きのTaxiはRs170,帰りツクツク(乗合タクシー)はRs7。夕食は教えられた店で安くて美味いベジダルバート。 (バンダはポカラで1日だけだったらしい。)
(ツクツク=メーターも無い改造したダイハツの軽貨物,立客入れて12人の超満員、発着場所が決まっているので判れば安くて便利、助手の子供は上手に客引きし、乗車賃を集める車掌役も。)
 
バターの灯明が建物を取り巻く
 
 
 
カトマンズ市内
 
第30日目 2004年11月22日 カトマンズ[Kathmandu]滞在
 アシスが6.00の約束より遅れで6.25出発。今日も客は私だけ。市外に出て空港の横を通り、右にバクタプルをかすめて、軍の基地を通って山道へ、7.30ナガルコットのホテルのテラスで軽い朝食。
 山を見るが霞でぼんやり、期待したクーンブ方面はダメでがっかり。宿に戻って昼寝の後散歩に出るがデモ隊とぶつかり引き返す。(繁華街で始めて見た、騒がしさが酷くなって行くようだ)。
 「千種」でコーヒー、土産物を少し物色して夕食は昨夜の店でチキンダルバートにした。
   

ナガルコットのホテルにて
 
ナガルコットからの遠望

ナガルコットからの遠望
     
第31日目 2004年11月23日 カトマンズ[Kathmandu]から帰国
 最後の日。朝食に行ったら代金をとられた受付で確認すると10.00までとなっていたから$9.00で20.00まで延長する。街に出て「千種」でコーヒー、昼はタンチョック(チベット料理で「ほうとう」みたい)、雨が降ってきて急いで宿に戻り昼寝。16.30北の空に青空が見えるのに降り続いている。
 20.00アシス、ナムゲル、上田さんが私を空港まで送るためタクシーで来てくれた、ネパリの外出が不自由な帰りを心配している。夜の警戒は厳しく私と上田さんにガターを掛け外人の見送りを表示して検問を通過、空港手前で2人は降り、空港建物前まで上田さんが送ってくれる20.30。
 深夜発はRA411だけで日本人団体が多い。23.40に受付を始め0.00には満席の客を乗せて動きだした。

 かくしてポンちゃんのアンナプルナ周遊の旅も無事終了しました。初めて見るダウラギリやアンナプルナ山群の迫力と荘厳に満ちたその姿に感動し、途中マナンで偶然遭遇した祭りや途中の村々ののどかな風景、ジョムソンやムクチナーチの古都の風景、それに多くの人に祝福されながら迎えることができた67歳の誕生日と。今回も思い出と感動にあふれるすばらしい旅でした。
 同行の上田さん、それに献身的にわれわれをサポートしてくれたガイドのアシスはじめサポートメンバーに感謝しつつ次回のすばらしい旅を夢見ながら今回の旅の記録を終わりとします。
 

さいごまでご覧頂きまことにありがとうございました。

     
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