パプアニューギニア・ウイルヘルム山登山 (1994/12/30〜1995/01/06)

 

飛行機を降りるとここは真夏、まだ夜明け前というのに猛烈な暑さだ。海岸が近いせいか湿気も高い。空港の外にでるとまず現地人の異様な顔だちに驚く。男も女も皮膚は黒光りし、髪の毛はちじれ、目はギョロットし、口は大きく出っ張っており、不気味さを感じる。特に男性は多くが顔じゅうにひげをはやし一層すごみがあり、近づくのが怖いくらいだ。でも話をすれば気さくな人たちだった。

 

空港前に集まるパプアニューギニアの人々

 

マウントハーゲンへ向かう国内線旅客機

ポートモレスビーから国内線に乗りパプアニューギニア中部にあるマウントハーゲンまで飛ぶ。空港を飛び立つと眼下にはうっそうとしたジャングルが延々と続き、その間を蛇行した川が流れる原始風景が続く。 ニューギニア航空の飛行機で出されるコーヒーを一口飲むと思わずうまいと声が出てしまう。これから行くマウントハーゲン一帯の高地では紅茶やコーヒーの栽培が盛んで良質なコーヒーが作られる。でも一番いいコーヒーはドイツへ行ってしまうとか。 ジャングルがしだいに消え、畑や集落が見えて来るとまもなくマウントハーゲンに到着だ。
早速出迎えの現地ツアー会社の車に乗り込み今日の宿泊地ケグルスグルへ向かう。道路脇のところどころに市場があり、思い思いに野菜や果物を地面に並べて売っている。どの人も暇そうで、商売をしているというより暇つぶしをしながら、ただ一日の過ぎていくのを待っているように見えるが、これがパプアニューギニアの生活スタイルなのだろうか。我々の時間尺度がくるっているのかもしれない。

 

農村で見かけた母子

 

山間の農家

クンディワナを過ぎると道路も未舗装となり山間の曲がりくねった道となり、次第に高度が上がり谷が深くなる。家はカヤぶきの粗末な造りだが、家々の庭には花が多く植えられており、ダリアやカンナ、マリーゴールド、コスモスと彩りもあざやかだ。

マウントハーゲンから5時間以上かかってやっと今日の宿泊地ケグルスグルに到着。ロッジまでの道はぬかるみで車の通行は不能。ピンクのルピナスの花が咲く飛行場跡を歩いてロッジに到着。ロッジといっても日本の山小屋より多少ましな程度であり、部屋は2段ベッドがあるだけだ。もちろん風呂などはなく、冷水のシャワーが使えるというが、とても寒くて使えるものではない。トイレは一応水洗だが、水道などはないので現地ツアーの人が手押しのポンプで水をくみ上げる。
この辺りは赤道直下にもかかわらず標高が高いせいで比較的温暖なため、日本でよく目にする野菜や果物が栽培されている。

 

四駆も立ち往生するぬかるみ

 

ニューギニアの民族衣装?

夕食後現地ツアー会社の計らいで、この地方の歌や演奏が披露された。伝統的な衣装をまとい、といっても男も女も裸に腰ミノだけだが、それに顔には不気味な化粧をし、鼻には動物のキバをさし、まるで原始時代そのままのいでたちだ。
最初に女性だけのグループによる歌が披露された。みな少しはずかしげにうつむいてもの悲しげな合唱が始まった。内容は忘れてしまったが男性への求愛の意味が含まれているようだった。続いて男のグループが登場。こちらはみな筋骨隆々とした黒光りのする立派な体つきで、いかにも勇猛な戦士といったいでたちだ。狭い家の中のショーなので激しく動き回ることはできずこちらも歌が主体だった。
朝起きてロッジの庭に出ると、今日のトレッキングのポータたちだろうか、大勢の現地人が集まっている。それに見物人も大勢集まり、ロッジの前は朝からた いへんなにぎわいだ。 しばらくすると、村の外れの方から数人の集団が空き缶をたたきながら笹を振り、大さわぎでこちらへ向かってくる。近づくと大人も子供も顔には白い化粧をし、頭には花で作った飾りをかぶり、また大人は鼻にはキバの様なものを刺している。昨日から夜通しでさわいでいたらしく、その延長で我々のところへきたらしい。

 

化粧をした人々

 

集まったポーターたち

さわぎも一段落し、いよいよ出発の準備開始だ。庭では今日のポータに我々の荷物が一つ一つ手わたされている。ポータといっても大人もいれば子供もいる。どういう条件でポータを決めているのかよく分からないが、早い順にでもなっているのだろうか。 全ての荷物がポータの手に渡るといよいよ出発だ。ツアーリーダを含め我々が22名、現地ツアー会社の メンバーが数人、それに我々を上回る人数のポータという大部隊だ。
村を過ぎると道はジャングルの中へと入る。ジャングルというと獣や蛇などを連想するが、標高が高いせいか蛇はいないとの事で安心して歩くことができる。また獣はいるにはにはいるが、人が通るような所ではほとんど見かけないそうだ。獣もしだいに少なくなってきているようだ。パプアニューギニアといえば極楽鳥が有名だが、その姿を見ることはほとんどない。乱獲でその数は激減してしまった。
ジャングルの中は気温はそれほど高くはないが、さすがに湿気は高く、汗がしだいににじんでくる。 道は木の枝で階段状にしてあり比較的歩きやすいくなってはいるが、それも村に近い所だけで、やがて道はぬかるみの連続となる。

 

トレッキングに出発

 

途中で休憩するポータ

樹林帯のぬかるみの中を抜けると、突然広々とした草原に出る。やっとぬかるみから解放され腰を降ろすことができた。ここからは視界も開け前方には大きな滝が見え、そこを過ぎれば今日の目的地ピュンデレイクは間近だ。  草原でしばしの休憩の後再び出発。乾いた道もつかのま、道はまた水浸しだ。しかしここは樹林帯の中の泥道とは違いきれいな水が流れており、ガイドはこの水でのどを潤していた。
草原が終わり少し急な坂道を上がると滝に到着する。落差はそれほどでもないが、水量が多くごう音をたてて流れ落ちる姿は迫力がある。滝を過ぎると道はなだらかになり、すぐ今日の宿泊地、ピュンデレイク湖畔の山小屋に到着する。この場所は回りを山に囲まれた狭い平地になっており、その大部分をピュンデレイクが占めている。湖の対岸には険しい岩山がそびえており、明日はこの山の上部をトラーバースしてウイルヘルム山頂へ向かうことになる。

 

ロッジの前の湖

 

ロッジの前の池もはるか下に見える

朝1時ごろ起床し簡単な食事をすませ、暗やみの中をランプの明かりを頼りに頂上を目指し出発だ。小屋まではずいぶん泥道に悩まされたが昨日以上のひどい道だ。おまけに暗くて足もとがよく見えないため歩きにくい。湖を半周し対岸に出ると、ここからは登り道となる。登りになっても相変わらず道はぬかるでおり、スリップしないように一歩一歩慎重に歩かなければならない。しばらく歩くとピュンデ湖のうえにある一回り小さなアウンデ湖のほとりに出た。この湖は下からは見えず、ここまでこなければ見ることができない。上を見上げるとまばゆいほどの星の輝きが空一面に広がっており、見慣れた星座さえ探すのがむつかしいほどの無数のきらめきだ。

1持間ほどで急な登りは終わり稜線にでる。強風を心配していたが、風はほとんどなく寒さもそれほど感じることは無い。 最初一塊だった先発隊のランプの明かりも次第にばらけ始め、その間隔が徐々に広がっていく。
稜線に出ると道は比較的緩やかになったものの小さなアップダウンが続き思ったほど楽ではない。ピークが見えるたびにあそこが頂上かと思ってがんばるとまた先にピークが現れる。何度となく希望と失望を繰り返していると目の前に大きなピークが現れる。やっとウイルヘルム山頂が現れた。

 

やっと現れたウイルヘルム山

 

ウイルヘルム山への取っ付き

ウイルヘルム取っ付きからは険しい岩場になるが10分ほどで待望の頂上に立つことができた。これでやっと長く苦しい登りも終わった。山頂一帯を覆っていたガスが次第に切れまわりの山の稜線が姿をあらわし始めた。
下山はまったく同じ道を小屋まで引き返す。途中雨が降り出し土混じりの道になると次第にぬかるんで滑りやすく歩きにくい道になる。特に小屋直前の急斜面の下りは慎重に歩かないとすぐ滑ってしまう。
やっと人家が現れた。我々が珍しいのか子供を抱いた家族がわれわれを向かえてくれる。一緒に写真を取った後家の中を見せてもらった。中は6畳より多少広い部屋とその半分位の部屋の二部屋あり、どちらも土間になっている。大きい部屋は入ると正面にかまどがあり、ここで炊事と食事をするようだ。同じ部屋の左奥は50cmほどの高さの床になっており、ここがベッドのようだ。壁は竹で編んであり、定かでは無いが窓はたしか無かったようだが部屋のなかは多少薄暗いていどだ。家具らしきものはほとんど無く、鍋釜のたぐいがあるだけで、食べることと寝るためだけの住まいのようだ。しかし日中は家の中に閉じこもっていることは無さそうで、特に不便は感じていないようにみえる。もしろ家の中にこもっている現代人の方が不健康な生活をしているし、人間関係も希薄になっていく。

 

農家の庭先で

 

ニューギニアの芸能スター?

マウントハーゲンに戻る途中でショーを見物するということになった。ショーの行われる場所へ行ってみると既に土産物の店がぐるりと観客席を取り巻いている。ショーはこの地方の風習を現している踊りで、みな顔には大きな土で作った面をすっぽりかぶり異様ないでたちだ。化粧や服装は全体にグレーや黒で、これまでの派手な衣装や化粧とはまったく異なり不気味な感じがする。ショーの内容は泥棒を捕まえて成敗するというものや、死者の弔いのようなものらしかった。
トレッキングも昨日で終わり今日は一日マウントハーゲンに滞在し観光と買い物をする。観光といっても見るものはあまりなくホテル近くのモニュメントの見学をした後近くの村へショーを見に行った。 ニューギニアには沢山の部族があり、昨日の部族のショーに比べ今日のショーは思い切り派手で陽気だ。ダンスもエレルギッシュでそのうちメンバーも踊りに加わり大変盛り上がった。

 

ダンスに加わるトレッカー

 

ポートモレスビー

帰国は明日なのでポートモレスビーへ戻ってから一日市内観光に出かけた。観光といっても何も無いところだが、まず最初に海岸の高台に向かった。ここからはポートモレスビーの町全体を見渡すことができる。戦時中にはここには砲台があったというが、いまは日本の援助(賠償金?)で作られた水道のタンクがあるだけだ。内陸部はジャングルに覆われていたが海岸部はほとんど木が無く、海の青と地面の茶色だけの乾燥しきった景色だ。  ポートモレスビーは日本軍と連合軍の激戦地であり数々の戦史が語られている。特に制空権を失った日本軍の陸路の進撃は悲惨であり、そのほとんどがマラリヤと強行軍のため命をおとしたという。忘れてならないのはここでも日本軍に徴用された多くの現地人が犠牲になっているということである。
海岸の高台を後にして次に博物館を訪れた。博物館といっても実態は土産物屋で、内部にはニューギニア各地から集められた民芸品のたぐいが所狭しと陳列されている。中には大変大きなものも陳列されておりその多くは祭祀や魔よけのたぐいであろう。それ以外には木製の食器類や竹細工のかごなどが展示されており、展示品はすべて販売しているようだった。好きな人にとっては大変な魅力なのだろうが貴重な文化遺産をみやげものとして売ってしまうことにはちょっと抵抗を感じる。

 

博物館に展示された民芸品

 

陽気なポータたち

出国の手続きも終わりいよいよ日本に向け出発だ。わずか一週間という短い旅だったが、始めて接するパプアニューギニアの人も自然も大変新鮮な体験だった。まだあまり観光地化されておらず、人の素朴さや生活、自然が残っているうちにこの地を訪れることができたことは幸いだった。

山と花のアルバム  
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