カラコルム・バツーラ山群トレッキング (1993/04/30〜1993/05/10)

 

成田を昼頃飛びッたった飛行機は途中北京空港に着陸し山のような荷物を持った客で機内は満席になった。北京空港を離陸すると延々と続く砂漠の上空を数時間飛行し、日がやがて沈もうとするころ、突然先端に雪を頂いた天山山脈が現れる。これまでの荒涼とした風景は一変し、5000mを越える荒々しい峰の連続する山岳地帯へと景色は一変する。しかしその峰の美しさもつかの間、天山山脈はやがて闇の中に消え、暗黒の世界へと変わり飛行機は夜のイスラマバード空港に到着した。

 



緑の多い イスラマバード

空港を出るととたんにカレーの匂いがする。これはパキスタンの人の体臭だ。どの人もみな、多少薄汚れたような白一色のパキスタン独特の衣服を纏ったモノトーンの世界。それに女性がほとんどいない異様な世界だ。 イスラマバードはパキスタンの首都で、ラワルピンディーの近くに計画的に作られた町で、中心部には政府関係の建物や放送局、大企業のオフィスが有るが、まだ大部分が緑地や原野のままで、建設途上の町である。
翌日イスラマバードから飛行機でトレッキングの目的地近くにあるスカルドまで飛行機で行く。そこから車で長寿で有名な、また北杜夫の小説でも有名なフンザまで行く。  イスラマバードを離陸し暫くすると窓の景色は次第に山岳風景となり、機は谷を深く削って流れるインダス川に沿って飛ぶ。次第に峰は険しく雪山へと様相を変えていく。山並みは果てることがなく、幾重にも連なり広大な山岳地帯を形成しており、日本の北アルプスでもここでは一本の線にしかならない。カラコルムのスケールの大きさに驚かされる。しばらくすると雲海を突き破り、僅かにその先端をのぞかせたパンジャブヒマラヤの名峰、標高8126mのナンガパルバットの頂きが見えてくる。

 



機窓からのカラコルム

 



雲海に聳える8000m峰

やがて飛行機はスカルド空港の上空へきたが視界不良のため着陸ができず大きく旋回しイスラマバードへ戻ることになった。再び高度を上げると突然前方の雲海上に鋭角的な頂きをした高峰が目に入ってきた。カラコルムの名主であり世界第二の高峰K2である。さらにその頂きの右にはブロードピーク、ガッシャーブルムと、いずれも8,000mを越えるカラコルムを代表する名峰が続く。

イスラマバードへ戻ると今度はバスで2日がかりでフンザへ向かうことになった。3時すぎ2台のマイクロバスに分乗し今日の宿泊地ベシャムへ向かう。 道路を走るトラックはどれも派手な装飾をし、けたたましくクラクションを鳴らして通り過ぎていく。乗り合いバスはずんぐりとした形状で、これもまたトラックに負けない派手な装飾を施している。 インダス川に沿っておよそ7時間でベシャムのモーテルに到着。

 



パキスタンのトラック野郎

 



村の風景

今日も長い車の旅が始まる。早朝はひんやりとして爽やかであったが日が上るにつれ猛烈な暑さが襲ってくる。6月すぎには45度にもなるという。車はインダス川に沿ってカラコルムハイウエーを一路ギルギット目指して走る。途中小さな町や村を幾つか通り過ぎるが、いずれも建物は粗末で耕地も極めて狭い。人の往来は殆ど無いが、何故か道端の木陰で何するでもなくじっと座っている人や、2〜3人でのんびり寛いでいる人をよく見かける。日本とは生活のリズムが全く異なり、我々の目には異様に映る。また町の中でよく男同士が手を取り合って歩いている光景を目にする。こちらの風習であろうがこれも異様な感じを受ける。
インダスの流れに沿って車は更に上流を目指して走り続けると、次第に周りの山の緑は少なくなり、乾燥した岩肌へと変わっていく。これまでの深い切り立った谷から広々とした乾燥地へと景色は変わる。車はやがて中間地であるチラスへ到着。このあたりは殆ど緑の無い乾燥した土地で、僅かに潅漑された農耕地にのみ緑が見られる。チラスの先で2,000年程前に岩に刻まれたという古代の絵画を見学し、更にカラコルム ハイウエーをギルギットを目指して車を走らせる。

 



インダス川上流の乾燥地帯

 



ギルギット川とフンザ川の合流

長い車の旅もそろそろ終わりだ。前方が大きく開けてくるとギルギットの町はもうすぐ。 ギルギットに近づくとこれまで走ってきたインダス川とも一旦分かれ、ギルギット川に沿って進む。ギルギット川に沿って暫く走ると川は再び分流し、一方はフンザ川となる。町の入口の検問を過ぎるとすぐ今日の宿泊地ギルギットのセレナロッジに到着する。 猛暑の中の長時間ドライブで喉がすっかり渇き、早速ホテルで冷たいビールでも飲みたいところであるが残念ながらここは禁酒国でありコーラで喉を潤す。
翌日は撮影組とバザール見学組に分かれて行動することになり、撮影組はフンザの名峰ラカポシの撮影に向かった。ギルギットを離れフンザ川に沿って進むと道は両側を切りったった崖に挟まれ、落石の間を縫うように走る。崖は高いところでは1,000m近くあろうか、バスの窓からやっと頂上を見ることが出来るほど急峻に切り立っている。岩肌は脆く、今にも崩れ落ちそうな岩ばかりでいつ落ちても不思議ではない。むしろ落ちてこないのが不思議なくらいだ。

 



落石の恐怖が連続するカラコルムハイウエー

 



フンザの名峰ラカポシ (7758m)

落石の恐怖の中およそ2時間程走ると川の両側が開け村が現れる。その村の外れにかかると、突然フンザの名峰ラカポシが姿を表す。頂上直下から巨大な氷河が延び斜面には流れるような雪壁を付けた純白の美しい山だ。 さらに車を少し走らせると休憩所が有り、そこからは真正面に標高7,788mのラカポシの姿を仰ぎ見ることができる。まじかに見る標高差5,000mのラカポシは圧巻である。
フンザに向かう途中道路わきでガーネット拾いをすることができる。10分程で一つかみ程のガーネットを拾うことができる。品質は良くないが宝石ということで皆夢中になって拾った。フンザはフンザ川の両岸に広がる山合いの地に開けた村で、かっては王国であったが今はパキスタンの一地方になっている。

 



フンザの村

 



トポプダン

フンザを過ぎても道は相変わらず落石が続くが、1時間弱でグルミット村に到着する。フンザ川の川岸に建つロッジに今日は宿泊しいよいよ明日からトレッキングが始まる。 ロッジの正面には標高6101mのトポプダンが聳えている。この山は針の様にとがった塔が幾つも集まって山塊を形成しており、特異な形状をした山だ。

やっと今日からトレッキングが始まる。登山道入り口から緩やかな坂道を上るとボリス湖が現れる。ここからは湖面にその姿を写したウルタルを真っ正面に望むことができる。ウルタルは標高7,388m、長谷川氏が遭難したことでも知られる山だ。

 



ウルタル (7388m)

 



パスー氷河の始まり

村のはずれで待っていたポータたちと合流。先に到着している荷物の仕分けを済ませるとポーターに続きいよいよ出発である。最初は緩やかな道が続き、やがて坂を登り詰めると正面に荒々しいセラックが林立するパスー氷河が現れる。
しばらく氷河に沿ってほぼ水平のしっかりした道が続き、やがて広い草原地帯へ出る。ここを過ぎるとやがて氷河の全貌が顔を出す。鋸の歯のように林立する巨大なセラックの塊が圧倒的な迫力で迫り、氷河の先端にはシスパーレ、パスーピーク等7000mクラスの山が聳えカラコルムの迫力ある光景を見せてくれる。この先の落石地帯を通過するとやがて今日の宿泊地パスーガルに到着する。

 



セラックの林立するパスー氷河とバツーラ(7785m)

 



氷河の上(中)を行く

今日は氷河を横断し対岸のキャンプ地までいく。テント場を後にすこし急な斜面を登ると氷河への入口に着く。氷河に入って見ると氷の大きさに驚く。セラックの高さは4〜5mほどあり、周りの景色は殆どセラックに遮られ見ることができない。まるで迷路の中を歩いているようだ。しかも氷上はクレパスも多く緊張の連続である。
氷河の中心部に近づくにつれ氷河の起伏は小さくなり道も安定して歩きやすくなるが、あいかわらずクレパスは存在するので気が抜けない。氷河の中心部で休憩しているとポーターの中の名物叔父さんのダンスが始まった。この人は底抜けに明るく、どこでも踊りだす愉快な人だ。他の人も大自然の中でのびのび生活しているせいか素朴で陽気な人が多い。

 



氷河上のダンス

 



ラズダールのキャンプ地

氷河を渡り切り、急斜面を上ると今日の宿泊地ラズダールに到着する。氷河を渡りきるまでおよそ2時間程度だったが緊張と不安で随分長く感じた。
氷河へ宝石探しに出かけテント場に帰ると先ほどまでいた山羊の姿がない。可哀想に今日の夕食にされてしまったようだ。
今日はパスー氷河とバツーラ氷河の間にある尾根のポトウンダスに登リ、再びここまで戻ったあと、昨日歩いた氷河を渡りパスーガルのキャンプ地まで戻るというハードスケジュールである。尾根までは高度差約1,000mあり、最高点は標高4,400mほどだ。

 



急斜面の途中から見下ろすパスー氷河

 



ポトウンダスとバツーラ氷河

3時間ほどでやっと尾根に到着する。尾根といってもとても広く辺り一面は夏の放牧地になっている。尾根の反対側は切り立った断がいで、その下にはバツーラ氷河が蛇行している。バツーラ氷河は全長58キロもありこの辺りは氷河の末端で、パスー氷河の様な荒々しさはなく、ゆったりとした表情を見せている。
一気にテント場まで下り再び氷河を横断して一昨日キャンプをしたパスーガルのテント場へもどる。 夜中に突然地響きがしてきた。何の音だろうと思っていると外でポーター達の声がしてきた。テントの外へ出てみると我々のテントの後ろ5〜6m位のところに50cmほどの石が転がっている。先ほどの音はこの石が落ちてきた時の音だった。、あと少しでどれかのテントを直撃するところであった。 クワバラ、クワバラ

 



テントのそばに落ちてきた岩

 



陽気なポータのダンス

トレッキングも今日が最後となった。朝食はツアーリーダ特性の豪華日本料理だ。昨晩から戻したという干しシイタケの味はこれまでのパキスタン料理ばかりを食べてきた舌には格別である。 落石地帯を抜けると広い草地に到着する。ポーター達も今日で終わりのせいか、早速踊りが始まった。最初はいつもの人とは別の人が踊り始めたが直ぐいつもの人が加わりさらにツアー参加の女性も加わりダンスの輪ができた。
村に着くと村の子供達が沢山集まってきた。パキスタンではどこへ行っても我々が止まると何処からともなく子供が集まってくる。中にはあつかましく物を要求してくる子供もいる。しかしフンザ辺りの子供は感心なことに絶対に手を出したり要求をしない。こちらから物をあげるまでは実におとなしい。しかし菓子をあげだすと、とたんに目の前に可愛い手がいっせいに飛びだしてくる。

 



フサニ村の少女

 



ガンダーラ仏教の博物館

最終日は飛行機の都合で一日延び、今日一日遺跡見物に行くことになった。 パキスタンといえばイスラム教国であるがガンダーラ仏教発祥の地でもあり、イスラマバードから車で2時間ほどの所に何ケ所か仏教遺跡がある。 最初に訪れたのはタキシラにある博物館だ。ここは規模は小さいが仏教遺跡から発掘された数々の出土品が展示されている。仏像が中心だがその他にも生活用具や工芸品など数多くの展示がされている。
次に訪れたのはタキシラの博物館から直ぐ近くにあるシルカップの遺跡だ。  ここは全体が城郭のように成っており、石垣に囲まれた中に仏教寺院などの多くの遺跡がある。遺跡といっても今は建物のあった跡が残っているだけだ。しかし今もこの遺跡の近くの丘には仏教寺院があり、僧侶がほそぼそと活動を続けているとのことである。  最後に訪れたのは仏像のあるジュリアンの遺跡だ。ここは小高い丘の上にあり、遺跡へ行くのに汗びっしょりになってしまう。既に気温は35度を越え炎天下では少し動くだけでも汗がふきだしてくる。  一つの建物の四方に向かって仏像が安置され、ぐるっと建物を一回りすると全ての仏像が見られる。ここにある仏像は何れも表面の痛みは激しいが、特別厳重な保存対策は行われていない。乾燥した地だけにきちんとした保存をしないと貴重な仏像もいずれ失われてしまうであろう。  一旦仏像のある建物を出るとその回りには高い石の壁がある。この壁はかっての仏教寺院の跡で中には広場やその他の施設の跡があり、かって多くの僧たちが修行をしたあとである。

 



シルカップの遺跡

山と花のアルバム  
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